中外商業新報
ちゅうがいしょうぎょうしんぽう
第二次世界大戦前、東京で発行されていた経済紙で『日本経済新聞』の前身。1876年(明治9)12月2日、三井物産の益田孝(たかし)によって創刊された週刊『中外物価新報』が起源で、82年7月、三井物産から分かれ(週3回刊)、85年7月、日刊となり、89年1月27日『中外商業新報』と改題した。経済、財政を中心に政治その他内外の情勢の報道にあたったが、日清(にっしん)戦争後の企業勃興(ぼっこう)期ごろから紙面も充実、わが国財界の発展とともに社業も発展した。1924年(大正13)12月『大阪中外商業新報』を創刊して関西にも進出したが、42年(昭和17)11月、戦時統合で東京の業界紙を吸収、『日本産業経済』と改題、東日本唯一の経済新聞となる。
[春原昭彦]
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「中外商業新報」の意味・わかりやすい解説
中外商業新報【ちゅうがいしょうぎょうしんぽう】
《日本経済新聞》の前身。1876年12月に三井物産の益田孝が創刊した週刊タブロイド版の《中外物価新報》が起源。1882年には三井物産の手を離れ,1885年から日刊,1889年1月に《中外商業新報》に改称。経済,財政を中心に,内外情勢を報道した。1924年12月に《大阪中外商業新報》を創刊して,関西に進出。1942年11月に新聞統合令により,《日刊工業新聞》と《経済時事新報》を合併して題字を《日本産業新聞》とし,さらに1946年3月に《日本経済新聞》に改称した。
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中外商業新報
ちゅうがいしょうぎょうしんぽう
『日本経済新聞』の前身。 1876年 12月三井物産の益田孝らが週刊で創刊したタブロイド4ページの『中外物価新報』が,85年7月から日刊となり,89年1月に改題したもの。 1911年8月資本金 10万円で日本の新聞社最初の株式会社となり,20年7月一挙に 100万円に増資した。 24年 12月『大阪中外商業新報』をも創刊。 42年 11月新聞事業令により『日刊工業新聞』『経済時事新報』の2紙を合併して『日本産業経済』と改題,『大阪中外商業新報』は廃刊した。 46年3月『日本経済新聞』と改題。
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中外商業新報
日本の新聞のひとつ。1876年、三井物産創業者の益田孝が創刊した日本初の週刊経済紙「中外物価新報」が三井物産から独立、のち日刊化し、1889年に改題したもの。経済・財政を中心に、政治や国内外の情勢についても報道。第二次世界大戦中の新聞統合政策により「日刊工業新聞」「経済時事新報」と合併、業界紙11紙を統合して「日本産業経済」となる。戦後、1946年、「日本経済新聞」に改題し、現在に至る。
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世界大百科事典(旧版)内の中外商業新報の言及
【日本経済新聞】より
…創刊は1876年,《中外物価新報》と題し,三井物産の[益田孝]によって週刊で発行された。82年三井物産の手を離れ,85年から日刊となり,89年《中外商業新報》と改題した。1924年には夕刊を発刊。…
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