国指定史跡ガイド 「大島畠田遺跡」の解説
おおしまはたけだいせき【大島畠田遺跡】
宮崎県都城(みやこのじょう)市金田町にある集落跡。大淀川と庄内川の合流地点に所在する、9世紀後半から10世紀前半(平安時代前期)の掘立柱建物跡。出土遺物から、河川を利用した交通や交易によって栄えた拠点的集落で、地元有力層の邸宅跡であると考えられている。平安時代には律令体制が変容し、地方においては富豪層が台頭したが、遺跡はこの時期の日向国内の状況を具体的に示すものとして重要とされ、2002年(平成14)に国の史跡に指定され、2004年(平成16)に追加指定を受けた。発見されたのは掘立柱建物跡のほか、池状遺構、門、柵列のほか、区画溝や道跡で、なかでも注目されるのが建物の脇に庇をもつ大型の掘立柱建物跡。全体の規模が20.3m×14.3m、柱穴の規模は直径・深さとも1m前後と大きく、使用された柱も直径40cmを超えていたと推定される。遺跡からは土師器(はじき)や須恵器(すえき)のほかに、国内外で生産された陶磁器類や墨で文字が書かれた墨書土器などが多量に出土した。JR日豊本線西都城駅から宮崎交通バス「中金田」下車、徒歩約10分。