大市庄
おおいちのしよう
三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に城上郡として「六大市庄大乗院、本十丁余、七名分 十三町二反大、八丁八反ハ反銭分」とあり、室町期は興福寺大乗院領荘園。七名からなり、均等名荘園といわれている。条里坪付は一七条七里(城上郡三里)一五―三三坪の間であるが、うち一八坪一町は興福寺一乗院領大田庄、七ヵ坪約五町は大乗院領楊本庄の田畠があり、交錯していた。なお「当庄東ハ楊本庄、辰巳ハ備後領、未申ハ大田庄・カンサ庄也、北楊本庄也」とその四至が記されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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