20世紀日本人名事典 「大庭哲夫」の解説 大庭 哲夫オオバ テツオ 昭和期の実業家 元・全日空社長。 生年明治36(1903)年12月2日 没年昭和54(1979)年3月17日 出生地香川県高松市 学歴〔年〕早稲田大学理工学部〔昭和5年〕卒 主な受賞名〔年〕勲二等旭日重光章〔昭和49年〕 経歴航空庁長官、日航常務を経て、昭和42年全日空副社長、44年社長に就任。45年辞任し、東京空港交通社長に。ロッキード事件では国会喚問で全日空のDC10オプションについて証言し、若狭社長と対立した。日本体育協会専務理事もつとめた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大庭哲夫」の解説 大庭哲夫 おおば-てつお 1903-1979 昭和時代の官僚,経営者。明治36年12月2日生まれ。昭和8年逓信省航空局にはいり,26年航空庁長官。27年日本航空にはいり,翌年常務。42年再建のため全日空にうつり,44年社長。ダグラスDC10導入計画がロッキード事件に発展し,1年で失脚。日本体育協会専務理事,43年メキシコ五輪の選手団団長もつとめた。昭和54年3月17日死去。75歳。香川県出身。早大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by