大森憲太(読み)オオモリ ケンタ

20世紀日本人名事典 「大森憲太」の解説

大森 憲太
オオモリ ケンタ

大正・昭和期の医師 慶応義塾大学医学部教授;慶応義塾大学病院長。



生年
明治22(1889)年4月30日

没年
昭和48(1973)年3月18日

出生地
熊本県山鹿

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔大正4年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔大正11年〕

経歴
東大助手、入沢内科助手の後、大正9年慶応義塾大学医学部内科講師、助教授、昭和2年教授となった。15年慶大に食養研究所が設けられ同研究所主任となり、その研究成果により病人給食制度が初めて慶大に設けられた。戦後、日本栄養・食糧学会の創立で初代会長となり、さらに国民栄養研究協議会の設立に尽力した。昭和21年慶応大学病院長となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大森憲太」の解説

大森憲太 おおもり-けんた

1889-1973 大正-昭和時代の内科学者,栄養学者。
明治22年4月30日生まれ。昭和2年慶大教授となり,15年食養研究所主任,21年大学病院長。他の大学病院にさきがけて患者給食制度を導入した。日本栄養・食糧学会初代会長。昭和48年3月18日死去。83歳。熊本県出身。東京帝大卒。著作に「ビタミン論抄」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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