大楊庄
おおやなぎのしよう
現牛津町の北東部に位置し、乙柳ヶ里(現乙柳)と称していた一帯と推定される。祇園川と晴気川の中流域にあたり、両川に挟まれた水田地帯である。
石清水八幡宮寺縁事抄の引く長保五年(一〇〇三)八月一九日の宇佐八幡宮司解に「大楊」とみえる。「宇佐大鏡」には「肥前国大楊庄 田数八十三町一反 承暦五年立券定 天平勝宝年中 公家奉寄」とあり、天平勝宝年中(七四九―七五七)に公家によって宇佐神宮(現大分県宇佐市)に寄進され、承暦五年(一〇八一)に立券荘号したことがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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