大畑城跡(読み)おおはたじようあと

日本歴史地名大系 「大畑城跡」の解説

大畑城跡
おおはたじようあと

[現在地名]中津市加来

加来かく集落の西の外れにある。賀来系図(賀来家文書)に「元暦元年甲辰、義経摂津国一の谷の城を陥れ平家讃岐国屋島に遁る。同く三月、義経、緒方三郎惟栄に命じ、五城を豊前豊後に築く、五城相接し以て平氏の九州に走るを拒ましむ(中略)四に曰く大畑城、五に曰く塩田城云々、二郎惟興をして大畑を守らしむ、此より大畑を称して加来と云」とあるが、加来氏にかかわる確実な史料は大永三年(一五二三)以後のことである。「両豊記」は天正七年(一五七九)島津義久方にくみした長岩ながいわ(現耶馬渓町)の野中鎮兼が、天正一〇年大畑城の賀来安芸守統直を攻めて敗北したことを詳しく述べているが、「中津川軍記」には同七年より同一四年まで四八度攻めたが落城しなかったとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む