大藤谷村(読み)おおふじたにむら

日本歴史地名大系 「大藤谷村」の解説

大藤谷村
おおふじたにむら

[現在地名]下松市大字大藤谷

瀬戸せと村の東、温見ぬくみ村の東南に位置する小村で、北から東は熊毛くまげ八代やしろ(現熊毛町)に接する。徳山藩領。

慶長五年(一六〇〇)検地帳では総高一三四石九斗九升。同一五年の検地帳では二四一石余、うち田方が二〇町余で二一七石余、畠方が五町余で一八石余、百姓屋敷一五とある。毛利輝元が次男就隆に元和三年(一六一七)分知した領知目録(毛利家文書)にも二四一石三斗八升六合とみえる。寛永三年(一六二六)の熊野帳では毛利就隆給領二六〇石六斗九合、百姓屋敷一五とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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