デジタル大辞泉
「薬師堂」の意味・読み・例文・類語
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やくし‐どう‥ダウ【薬師堂】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙 薬師如来の像を安置してある堂舎。
- [初出の実例]「一部 官納 在薬師堂」(出典:西大寺資財流記帳‐宝亀一一年(780))
- [ 2 ] 高知県長岡郡大豊町にある真言宗智山派の寺、豊楽寺(ぶらくじ)の本堂。平安末期の建立で国宝。本尊の薬師如来は、古来、日本三薬師の一つといわれた。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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薬師堂
やくしどう
[現在地名]福知山市字中
庵我神社の東方にある。堂は貞享元年(一六八四)の再建で本尊の薬師如来は坐高一・七九メートル、寄木造で暗赤色の着色がされている。中世後期に復古様式でつくられたものとされる。像内頭部に木片を載せて一小仏像を納めてあり、その一面に「弘法大師御作、直心」、他面に「奥州三春城 主為乾元院殿前信州大守剛山瑞陽大居士菩提也」と記してある。同居士は「寛政重修諸家譜」によれば秋田輝季のことで、延宝四年(一六七六)より三春城(現福島県)城主であり、没したのは享保元年(一七一六)であるが、その菩提を弔うために薬師像内にこの小像を納めたもので、仏頭の内部に寛保四年(一七四四)と墨書されている。
薬師堂
やくしどう
金井町から稲野辺に通ずる道筋に位置する。本尊は薬師如来。文明一〇年(一四七八)下館城主水谷勝氏の創建といわれる。現在の堂宇は元禄四年(一六九一)の再建と伝えられ(下館の文化財)、入母屋千鳥破風・平屋瓦葺の四面御堂造。
薬師堂
やくしどう
太良庄字太良の集落に相対する南側谷間にある。現在無住で、宗派に属さない。平安末期に太良保の公文職となった丹生出羽房雲厳の師凱雲が建立、荒野一町五反を開発して馬上免となし、六斎の講筵を勧修したという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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