天羽庄(読み)あまはのしよう

日本歴史地名大系 「天羽庄」の解説

天羽庄
あまはのしよう

天羽郡の郡名を継承するため現富津市内に比定されるが、具体的な庄域は未詳。寛平二年(八九〇)八月五日の藤原菅根等連署荘園施入帳(朝野群載)に天羽庄とみえ、藤原菅根は奈良興福寺に田代たしろ(現長柄町)藻原もばら(現茂原市)を施入したが、この田代庄は長柄ながら郡と天羽郡に設定されており、その天羽郡分が天羽庄とされたと考えられる。同寺の維摩会の資用に充てられた。「吾妻鏡」元暦元年(一一八四)正月一七日条に天羽庄司直胤とあり、平直胤かその父常澄によって中世的庄園として再置されたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む