興福寺において毎年10月10日より7日間,《維摩経》を講説する大会。南都三会の一つ。藤原鎌足が山階陶原(やましなすえはら)の自邸を寺とし,百済尼僧法明のすすめで《維摩経》を読み,658年(斉明4)に元興寺僧福亮を講師として始めたのが最初と伝える。以後久しく断絶し,706年(慶雲3)藤原不比等が再興したが,その後一時中絶。757年(天平宝字1)藤原仲麻呂が祖父鎌足の功績を慶賛するかたわら,学僧の育成と仏法の興隆を計るために再興した。802年(延暦21)以後恒例化し,宮中の御斎会(みさいえ),薬師寺最勝会とともに学僧の登竜門としてとくに重視された。探題,講師,読師,精義者,問者を立て,竪義(りゆうぎ)者(竪者(りゆうしや)/(りつしや))の経義を批判して及落を判定し,諸寺より聴衆が聴聞参席した(竪義)。摂関政治確立以降は勅使が派遣されることになり,839年(承和6)には当会の講師が明年の宮廷御斎会と薬師寺最勝会の講師となる制度が決まり,三会の講師を遂行した僧は〈三会の已講(いこう)〉と称し,僧綱に任ぜられることになった。だが平安時代中期以降になると,門閥政治の余波をうけ,貴族出身の若輩の子弟が藤原氏の長者宣により老僧を超えて竪義・講師に任命され,形式化の一途をたどることとなった。中世一時中絶し,江戸時代以後もまま中絶し,明治の廃仏毀釈で興福寺が一時廃寺となったときにまったく断絶した。しかし第2次大戦後,興福寺,薬師寺の法相宗のみによって復興された。
執筆者:堀池 春峰
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…平安末期から鎌倉,室町にかけて延年が催された寺院は,畿内では興福寺,東大寺,法隆寺,薬師寺,多武峰(とうのみね)(古くは〈たんのみね〉),比叡山,園城寺,醍醐寺などであり,地方では日光輪王寺,平泉の中尊寺,毛越(もうつ)寺などであるが,とりわけ南都の延年が歴史も古く,かつ盛大であった。たとえば,興福寺の延年は維摩会(ゆいまえ)に付属する催しであったが,白河院の時代にはすでに行われていたものと思われる。鎌倉時代初頭には,〈延年頭〉なる所役がみえ(《三会定一記》1338),このころには維摩会の延年が相当に整備されていたことがうかがえる。…
…日本では598年(推古6)4月に聖徳太子が,諸王・豪族を集めて法華・勝鬘(しようまん)の2経の講義を行ったことが知られ,仏教の興隆流布とともに各種の法会が催された。経論の主旨を究明しようとした維摩(ゆいま)会,最勝会,唯識会,俱舎(くしや)会,華厳会,法華会をはじめ,国家の安泰を祈る仁王(にんのう)会,大般若会や,釈迦の入滅を追慕し報恩の意を表す涅槃(ねはん)会は,やがて一宗一寺の祖師信仰と結びついて,祖師の御影(みえ)像や堂を造って忌日に法事を行うにいたった。中世には祖先の追善冥福を祈る法会も一般化し,ときに斎(とき)(食事)の席を設けるなどして今日に至っている。…
※「維摩会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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