朝日日本歴史人物事典 「天野屋太郎左衛門」の解説
天野屋太郎左衛門
江戸前期の貿易商人。姓は柏原。摂津国生まれ。小堀遠州(政一)の臣柏原兵部左衛門の息子。豊臣秀吉の朝鮮侵略に参加したのち浪人となったが,加藤清正の臣で親類の柏原(のち加藤)平左衛門を頼り,熊本へ町人として居住。その後,肥後(熊本県)下益城郡小川町と長崎にも家屋敷を構え,清正に仕えた。加藤氏改易後は,一時小川町へ退居したが,再び長崎へ移住。慶安1(1648)年には,長崎地下を代表し市中助成を幕府に請願した。これ以後,また小川町へ帰参し同地で死去。なお,寛永5(1628)年の浜田弥兵衛事件で,オランダ長官P.ヌイツを捕縛したのが自分であることを後年に至り主張した。
(岩崎義則)
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