日本歴史地名大系 「太田袋村」の解説 太田袋村おおたぶくろむら 埼玉県:久喜市太田袋村[現在地名]久喜市太田袋北は備前前堀(びぜんまえぼり)川を境に下早見(しもはやみ)村、北から西は古新(ふるにつ)川を境に青柳(あおやぎ)村と対する。袋村とも称された。百間(もんま)領に所属。寛永五年(一六二八)岩槻藩阿部氏の検地があり(風土記稿)、田園簿によれば田高一一二石余・畑高一三九石余、同藩領。同藩の城付地で高岩(たかいわ)筋に属し、延宝八年(一六八〇)の家数二六(うち本百姓一七)、人数一九七(「岩付領内村名石高家数人数寄帳」吉田家文書)。貞享三年(一六八六)の岩槻藩領郷村高帳では高三二七石余、ほかに新田三五石余・野銭永三四〇文・藍瓶役鐚七二文・見取場田畑三反余があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by