日本歴史地名大系 「太秦中里村」の解説 太秦中里村うずまさなかざとむら 京都市:右京区太秦中里村[現在地名]右京区太秦〈奥殿(おくどの)町・桂(かつら)ヶ原(はら)町・多藪(たやぶ)町〉付近村域は現太秦多藪町・同奥殿町付近を中心に東南に広がっていたと思われるが、正確な範囲比定は困難。近世を通じて村高は八四〇石ほどであるから相当大きな村であったと思われ、南は東梅津(ひがしうめづ)、東は安井・山ノ内、北は太秦門前(もんぜん)、西は太秦安養寺の各村に囲まれ、村内に太秦市川村を含みこんでいたと思われる。広隆(こうりゆう)寺に近く、太秦の一部として早くから開かれたと考えられる。享保一四年(一七二九)の山城国高八郡村名帳によれば、村高は八三九石八斗九升九合で、有栖川宮領六六四石一斗三升余、大徳(だいとく)寺領一七一石八斗余、威徳院領三石九斗六升に分れる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報