右京区(読み)ウキョウク

デジタル大辞泉 「右京区」の意味・読み・例文・類語

うきょう‐く〔ウキヤウ‐〕【右京区】

右京

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日本歴史地名大系 「右京区」の解説

右京区
うきようく

面積:七四・六四平方キロ

京都市西部、かつら川の東岸にあたり、北部一帯は山地、南部は盆地をなす。北は山嶺をもって北区・京都府北桑田きたくわだ京北けいほく町・亀岡かめおか市、西は大堰おおい保津ほづ峡・桂川を境に西京区、南は南区、東は下京区・中京区・北区に接する。

西北部には愛宕あたご山がそびえ、その東麓を清滝きよたき川が南流して保津峡に注ぎ、曼荼羅まんだら山・観空寺かんくうじ谷に源を発する有栖ありす川は梅津うめづで桂川に注ぐ。さわ山・むかい山に源を発する御室おむろ(旧鳴滝川)双ヶ丘ならびがおかの西麓を経て天神てんじん(旧紙屋川)に合流し、南流して桂川に注ぐ。また桂川の嵯峨に樋口をもつ西高瀬にしたかせ川は中央平野部を二条(現中京区)まで東流する。山間部には菖蒲しようぶ谷・さわの両池があり、山麓丘陵地には大沢おおさわ広沢ひろさわ門徳もんとく弁慶足型べんけいあしがた池など多くの中・小池が点在する。北部山間部は周山しゆうざん街道(旧一条街道)うめはたを南北に通じ、北桑田郡京北町に通じ、中央平坦部は東西に三条街道(旧下嵯峨街道)が、南部平坦部は四条・五条・八条通が東西に通じる。

〔原始〕

北部山間の丘陵地に沢ノ池・菖蒲谷・広沢池の旧石器時代の遺跡がある。菖蒲谷遺跡からは縄文時代の遺物が発見され、周山街道に沿った山間丘陵地に採集・狩猟生活を営んだ旧石器・縄文人の生活跡が知られる。弥生中期のものに梅ヶ畑遺跡があるが、集落跡は発見されていない。古墳には朝原あさはら山・嵯峨七っ塚さがななつづか長刀坂なぎなたざか御堂みどういけ山越やまこし音戸おんど山・双ヶ丘など、大規模な群集墳が丘陵腹・丘陵端・台地にみられ、多くは円墳で、横穴式石室も発見されている。古墳時代後期の六世紀中葉頃に築造された前方後円墳には奈良県の石舞台古墳と大差のない最大規模をもち、横穴式石室が遺存する蛇塚へびづか古墳・天塚あまづか仲野親王陵なかのしんのうりよう古墳などが嵯峨野台地に点在し、秦氏一族の首長墓と推定されている。

〔古代〕

山背国葛野かどの郡に属す(「続日本紀」大宝元年四月三日)。嵯峨野台地には秦氏一族が居住して開発を進め(「日本書紀」皇極天皇三年七月)、その中心をなす寺院として蜂岡はちおか(広隆寺)が建立されている。


右京区
うきようく

2005年4月1日:北桑田郡京北町は京都市編入に伴って、右京区に編成
【右京区】京都府:京都市
【京北町】京都府:北桑田郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「右京区」の意味・わかりやすい解説

右京〔区〕
うきょう

京都市北西部の区。 1931年嵯峨町と梅津村京極村松尾村,川岡村,花園村太秦 (うずまさ) 村,西院村,梅ヶ畑村,桂村の9村が京都市に編入されたのに伴い新設。 1976年桂川より南西側が西京区として分離。 2005年京北町を編入。北部は山がちであるが,南部には台地や桂川沿岸の沖積地が広がる。古くから製材業が発達,近年は機械,精密機械などの大工場も立地。南東部は市街地で,南西部は田園であったが,近年は宅地化が進んでいる。広隆寺天竜寺仁和寺高山寺神護寺妙心寺などの名刹があり,多くの国宝や重要文化財を所蔵。天竜寺庭園,龍安寺方丈庭園,法金剛院青女滝は国の特別名勝。また,高雄,愛宕山などの景勝地があり,嵐山をはじめ史跡,名勝が多い。清滝川のゲンジボタルおよびその生息地は天然記念物。太秦の映画村などの観光地,レクリエーション地にも恵まれる。 JR山陰本線が通る。面積 292.07km2。人口 20万2047(2020)。

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