日本歴史地名大系 「奥州二本松城図」の解説
奥州二本松城図(二本松城図)
おうしゆうにほんまつじようず
九八×一五六センチ
成立 承応二年―寛文六年頃
原本 郡山市木目沢伝重郎
解説 正保の城絵図に対して、この図は丹羽氏の城下町整備直後の状況を図示している。本丸と三の丸に石垣が、また畠山氏時代の館や曲輪などの要所には土塁が描かれている。町名が記載されているが屋敷割は概念的であり、家臣名の記入は四件にすぎない。軍事上の要所と思われる所には本丸からの距離や高さが注記され、耕地は亀甲型に描かれている。正保の城絵図との相違点は六町の町人町が描かれていることはいうまでもないが、南の枡形が約六〇〇メートルほど南に移され現在の字大壇地内に記されていること、および北の枡形の位置に竹田御門が造られ堀と土塁が新設されたことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報