沖縄県八重山列島(やえやまれっとう)の主島の石垣島からなる市。なお、中国との領有権で問題になっている尖閣諸島(せんかくしょとう)は石垣市に含まれる。1914年(大正3)八重山村が石垣、大浜、竹富(たけとみ)、与那国(よなぐに)の4か村に分村し、石垣村が誕生。1926年町制、1947年(昭和22)市制施行、1964年大浜町を編入。方音イサナキ、イシャナギィ、イナシ。石垣島の北半は、県最高峰の於茂登岳(おもとだけ)(526メートル)を擁する花崗(かこう)岩からなる山地が東西方向に走り、南部は波浪状の丘陵地帯で、宮良(みやら)川、名蔵(なぐら)川などが流れる。2013年(平成25)3月、石垣空港にかわって新石垣空港(愛称「南ぬ島(ぱいぬしま)石垣空港」)が開設された。那覇、宮古、与那国や、東京、大阪、名古屋、福岡、台湾、香港(ホンコン)とも直行便で結ばれた。市街は四箇(しか)(新川(あらかわ)、石垣、大川、登野城(とのしろ))と称され、島の南端に位置し、古くから八重山列島における政治、経済、文化の中心として栄えてきた。第二次世界大戦前、石垣島の南部沿岸地域を除くほかの地域はマラリアの流行地であった。開拓のためマラリア地域への強制移民が1711年(正徳1)に開始されたが、マラリアや明和(めいわ)の大津波(1771)で廃村となった。また廃藩置県(1871)後、失業士族の移民が行われたが、これも1902年(明治35)ごろまでには廃村となった。第二次世界大戦後、アメリカ軍がマラリアの撲滅に努めたあとへ、開拓移民団が入植した。戦前、石垣の農業は稲作と若干のパイナップルであったが、戦後はサトウキビ、パイナップルが主で、畜産も盛んである。土地改良事業が大規模に実施されている。名所旧跡として、宮良間切(みやらまぎり)の頭(かしら)職の屋敷として建てられた宮良殿内(どんち)、権現堂(ごんげんどう)(ともに国指定重要文化財)、桃林(とうりん)寺山門仁王像があり、川平湾(かびらわん)および於茂登岳、石垣氏庭園は国の名勝に指定されている。民謡の宝庫でもある。そのほか、市立八重山博物館、石垣市伝統工芸館、石垣島鍾乳洞(しょうにゅうどう)などがある。なお、名蔵川河口部の湿地「名蔵アンパル」が2005年(平成17)にラムサール条約登録湿地となった。北部から東部の周辺海域、石西礁湖の海域、於茂登岳などは西表石垣国立公園に指定される。面積229.15平方キロメートル(尖閣諸島の面積5.53平方キロメートルを含む)、人口4万7637(2020)。
[堂前亮平]
『『石垣市史』全13巻(1983~2017・石垣市)』
天然に産出する玉石(たまいし)、またはそれを切断、研磨加工した石材を積み上げて構成した工作物のこと。土留めを目的とする擁壁(ようへき)、囲障を目的とする石塀(いしべい)などがある。急斜面や崖(がけ)など高低差のある土地で発生しやすい地すべりや土砂の流動、崩壊を防止する手段として、木製矢板を用いた支保工や鋼鉄製シートパイルの打設などの工法があるが、石垣は、石のブロックを段々に積み上げて側方からの土圧に耐えさせ、山留めの役目をさせるものを総称する。古来、城郭や櫓(やぐら)などの基礎工(石塁)としても洋の東西を問わず広く用いられ、また、山道や河川の護岸、傾斜地における宅地造成にも利用される。日本では稲作農業が全国的に普及しており、山間地の水田には石積みされた擁壁が多く見受けられる。
[金多 潔]
花崗岩(かこうがん)や安山岩など硬度の高い石材は擁壁用の石垣に多く用いられる。石塊の大きさは大小さまざまであるが、たとえば大坂城の石塁には、瀬戸内海沿岸から筏船(いかだぶね)や石船(石材運搬専用船)で海上輸送によって運ばれてきた巨大な花崗岩の大石が使われている。陸上での巨石運搬は、石を修羅(しゅら)に乗せて運ぶなど、人力によることが多かったが、あるときは装いをこらし、木遣(きやり)の音頭をとり、大ぜいの見物を交えて威勢をつけ、お祭りのような騒ぎで石引きを行ったといわれている。現在、皇居になっている江戸城の石塁には、神奈川県小田原市近郊から産出する小松石(安山岩)が多量に用いられている。これらの城郭の石塁の技術と壁面の構成は日本独得のものである。
[金多 潔]
石垣では積み石の形や大小にとらわれない自然石積み(くずれ積み)がもっとも古い工法であり、その構成は現代にも引き継がれている。また、同じ自然石でも玉石積みがあり、よくみかける石積みとして間知石(けんちいし)積みがある。間知石積みの積み方は、V字形の谷積みと水平の線を強調した布(ぬの)積み、そして特殊なものに六角形の亀甲(きっこう)積みがある。ほかに不定形な雑石を用いた石積みや、あらかじめ壁面構成を考えて石の割付けをした石積みなどがある。
[金多 潔]
石塀については土圧を考えないでもよく、かなり自由なデザインも可能である。砂岩や凝灰岩などの軟石を使う場合も多く、その加工が容易なことから彫刻を施したものや、仕上げ面の加工に手の込んだ石塀が見受けられる。石垣は、目地モルタルの有無によって練(ねり)積み、空(から)積みなどといわれる。石の利用上、石積みはもっとも多く使われ、長い年月を経ると落ち着きのある立体的景観を生み出す。
[金多 潔]
『飯島亮他著『原色 日本の石――産地と利用』(1978・大和屋出版)』
言葉の本来の意味は,石で築いた境界の工作物であるが,斜面の土止めなどのために石で築いた壁も石垣と呼ぶ。石崖(いしがけ)と呼ぶこともあり,古くは石畳(いしだたみ)という表現も使われた。日本の石垣は,桃山時代の城郭でもっとも大規模なものに発達したが,この場合も,防御用の境界工作物であるとともに,斜面の土止めの役割を果たしている。その構造の多くは,粗い加工をした石や,自然のままの石を,すき間をかなり残しながら積んだもので,エジプト,中国,ヨーロッパなどの石造建造物(石造建築)のように,精巧に加工した石材をすき間なく積んだ例は少ない。その理由は,豪雨の多い日本では,すき間の多い石垣のほうが,石垣背後の水を排出しやすく,水圧による崩壊を防ぐことが容易なためと考えられる。日本における石垣の使用範囲は非常に広く,耕地,建築敷地,道路,河岸,海岸などの土止めのほか,防風,防波,防火のための壁,船着場,防波堤などにも使われた。その理由も,材料となる切石や玉石が入手しやすいことと,豪雨の多い気候条件によると考えられる。一方,建築物に石垣を用いる例は,城郭の天守・櫓(やぐら)の地階部分と,南西諸島の民家の壁のほかは少なく,これは地震が多いためであろう。
日本で石を工作物の材料として本格的に使い始めたのは古墳時代で,横穴式古墳の玄室や羨道(せんどう)/(えんどう)の側壁に,大きな切石を積んだ石垣が用いられ,古墳の表面の斜面には,土止めと表現上の役割を兼ねた葺石(ふきいし)が置かれた。5世紀から7世紀にかけて九州・中国地方などで築かれた山城でも,切石を用い,水門も設けた精巧な石垣が見られる。日本の石垣技術が,そのつぎに大きく発展するのは,大規模な築城が行われた桃山時代から江戸時代初期にかけての時期である。城郭の石垣の古いものは,大割りした石をそのまま積み,石の大きさはふぞろいで,すき間が大きく,こう配も緩い。これを野面(のづら)と呼んだ。しかし,城郭の大規模化とともに,城壁の出隅のように構造および防御上の弱点となる部分から,しだいに精密に加工した石材が用いられはじめ,高く急こう配の石垣が生まれた。江戸時代に入るころには,正面から見て石材相互の間にほとんどすき間のない石垣が作られるようになる。そのようなすき間のない石垣の工法を切込みはぎと呼び,それに対してまだすき間のあるものを打込みはぎと呼んだ。石垣のこう配の形状も,野面の時期には直線であったが,高さが高くなるにつれて,重量を垂直方向からしだいに水平方向へと伝えてゆくために,弓状のたるみを持たせ,上部は防御のために垂直に近くしたものが作られた。発達した石垣では,石材がはらみ出ないために,奥行きの長い石材を用い,背後の水はけをよくするための詰め石や排水孔に工夫をし,また,石材の組合せ方を,力が1ヵ所に集中しないようにするなどの,種々の考案がされている。民家に用いられる石垣は,城郭のそれに比べると技術的には素朴であるが,集落景観として独特の美を生み出しており,防風用の石垣を高く積んだ愛媛県の豊後水道沿岸の漁村集落(西海町外泊その他)や,南西諸島(沖永良部島その他)の集落などの,多くの例が見られる。
→穴生(あのう) →石工
執筆者:大河 直躬
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…【村田 修三】
【古代】
古代の城柵は7世紀中ごろの天智朝以前の神籠石(こうごいし)と,天智朝に唐や新羅に対する防備のため対馬の金田城,讃岐の屋島城をふくむ九州から大和にまで築いた城,8世紀の怡土(いと)城などの西国の防御的な山城(さんじよう∥やまじろ)と,8,9世紀に東北経営の拠点として築いた平城(ひらじろ)または平山城(ひらやまじろ)に分けることができる。 天智朝の百済人の指導による築城は,実戦的に防御正面に急峻な地形を選び,その背後に山稜がめぐる谷をとりいれた楕円形の平面をもち,山稜を石垣や土塁でつないでその間に数ヵ所の城門を配している。防御線の内側に兵舎や数十棟の倉庫を配している。…
…しかし古代には都市そのものが市壁で守られ,人家は稠密(ちゆうみつ)に建てられていたので,市内の建物に塀をめぐらすことはまれであった。他方,市外の農場や牧場は石や土を積んだ石垣や土塁,あるいは灌木の生垣で囲んで,動物の侵入や逃亡を防いだ。また,古代ローマのウィラも,もちろん塀や石垣で囲まれていた。…
※「石垣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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