奥平野村(読み)おくひらのむら

日本歴史地名大系 「奥平野村」の解説

奥平野村
おくひらのむら

[現在地名]兵庫区五宮町(ごのみやちよう)・神田町(かんだちよう)・上祇園町(かみぎおんちよう)・下祇園町(しもぎおんちよう)・上三条町(かみさんじようちよう)・下三条町(しもさんじようちよう)・馬場町(ばばちよう)・矢部町(やべちよう)・梅元町(うめもとちよう)・楠谷町(くすだにちよう)・湊山町(みなとやまちよう)・雪御所町(ゆきのごしよちよう)・菊水町(きくすいちよう)一―二丁目・湊川町(みなとがわちよう)一丁目・平野町

荒田(あらた)村の北東に接し、天王谷(てんのうだに)川流域を中心に六甲(ろつこう)山地から南麓の沖積平地を村域とする兵庫津近郊の山寄りの村。天王谷川沿いの道は有馬(ありま)(現北区)・播磨国三木に通ずるいわゆる天王谷越で、慶長国絵図にもみえる。平安時代末期、平清盛は隠居所として「摂州平野之勝地」(治承四年二月二〇日「太政官符案」内閣文庫蔵摂津国古文書)に福原(ふくはら)山荘を建てている。山荘から一町ばかりの地には湯屋があり(「山槐記」治承三年六月二二日条)、温泉が湧いていたらしく、豊臣秀吉が兵庫津の正直屋寿閑に許可した湊川上流の温泉の湯坪というのも(慶長元年一二月一八日「豊臣秀吉朱印状」井文書)、天王谷川流域にあったとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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