日本大百科全書(ニッポニカ) 「妻沼聖天堂」の意味・わかりやすい解説
妻沼聖天堂
めぬましょうてんどう
埼玉県熊谷(くまがや)市妻沼にある高野山真言(こうやさんしんごん)宗準別格本山。正しくは聖天山歓喜院(かんぎいん)長楽(ちょうらく)寺と号する。本尊は大聖歓喜双身天。1179年(治承3)斎藤実盛(さねもり)が妻沼の地に祖先伝来の歓喜天尊を奉祀(ほうし)、1197年(建久8)実盛の次男実長(さねひさ)(阿請房良応(あしょうぼうりょうおう))が関東八か国を勧進(かんじん)して御堂(みどう)を修復、別当坊歓喜院長楽寺を建立して開創した。1552年(天文21)には忍(おし)城主成田長康(ながやす)・氏長父子により再建され、さらに1604年(慶長9)徳川家康も聖天堂の造営を命じて50石の朱印を授けた。現本殿(聖天堂、国宝)は1760年(宝暦10)完成のもので、奥殿、相の間、拝殿よりなる権現造(ごんげんづくり)で、壁面に桃山風の華麗な彫刻が施されている。1851年(嘉永4)には貴惣(きそう)門が竣工(しゅんこう)、信徒の崇敬を集めてきたが、明治維新の神仏分離令により一山すべて歓喜院所属とされた。開創時に奉鋳された錫杖(しゃくじょう)は国重要文化財に指定されている。
[中山清田]