日本大百科全書(ニッポニカ) 「妻沼」の意味・わかりやすい解説
妻沼
めぬま
埼玉県北部、大里郡(おおさとぐん)にあった旧町名(妻沼町(まち))。現在は熊谷市(くまがやし)北部を占める地域。旧妻沼町は1913年(大正2)町制施行。1955年(昭和30)男沼(おぬま)、秦(はた)、長井、太田(おおた)の4村と合併。2005年(平成17)熊谷市に合併。妻沼の地名は近世、当地方の中心であった女沼(めぬま)(妻沼)に由来する。旧町域は利根(とね)川右岸の沖積低地の扇状地から氾濫(はんらん)原に移り変わる付近に位置し、自然堤防や曲流跡が発達する。国道407号が通じる。江戸時代は中山道(なかせんどう)の熊谷宿と上州を結ぶ脇往還の利根川の渡舟場であり、河岸(かし)場としてもにぎわい、5、10の日には市(いち)が立った。また聖天(しょうてん)山歓喜院(かんぎいん)の門前町としても栄えた。備前堀(びぜんぼり)沿いに肥沃(ひよく)な低地が広がり、米作のほか、ニンジン、ネギ、キュウリなど蔬菜(そさい)が特産である。工業団地が造成され、工業の発展もみられる。近くの利根川河川敷にグライダー滑空場がある。歓喜院の聖天堂は国宝、貴惣門、錫杖(しゃくじょう)は国指定重要文化財。
[中山正民]
『『妻沼町誌』(1977・妻沼町)』