日本歴史地名大系 「姫路城下町人町絵図」の解説
姫路城下町人町絵図(町絵図)
ひめじじようかちようにんまちえず
成立 寛延四年頃
原図 大久保家
解説 姫路城下七八町のうち三一町の町絵図。大野町(野里鋳物師町)絵図・野里寺町絵図・河間町絵図・鍛冶町絵図・米屋町絵図・金屋町絵図・橋之町絵図・上久長町絵図・京口鋳物師町絵図・国府寺町絵図・壱丁町絵図・大黒町絵図・綿町絵図・伽屋町絵図・亀井町絵図・本町絵図・西二階町絵図・上白銀町絵図・下白銀町絵図・南町絵図・西塩町絵図・新身町絵図・加納町絵図・大蔵前町絵図・冨田町絵図・下片町絵図・上片町絵図・材木町絵図・増位町絵図・小利木町絵図・柳町絵図。どの絵図も三〇〇分の一の縮尺。もと姫路城下の大年寄役を勤めていた西二階町の那波家にあったもので、現所蔵者の大久保家とは婚姻関係にある。記載事項や寛延二年の大洪水後の様子を示していることなどから、ほとんどの絵図が同四年から宝暦三年の間に作成されたものといえる。屋敷の表間口の長さは縮尺に忠実である。木戸・番所・高札場や町持の家屋敷、用水・大溝と記された用水溝や町の裏通りの悪水溝などの存在が確認され、近世の町人の生活を研究する貴重な史料。新版「姫路市史」第三巻付図。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報