子不思儀村(読み)こふしぎむら

日本歴史地名大系 「子不思儀村」の解説

子不思儀村
こふしぎむら

[現在地名]下館子思儀こしぎ

大谷おおや川右岸に位置し、西は盛添島もりそえじま村。永享一二年(一四四〇)八月三日の上杉清方禁制(法雲寺文書)に「禁制 右常州法雲寺并正受菴領同国関郡内水飼戸郷(中略)伊佐郡小節木等事、軍勢甲乙人等不可致濫妨狼藉、若有違犯之輩者、可処罪科之状如件」とある伊佐いさ郡小節木が子不思儀と思われる。

文明一〇年(一四七八)水谷勝氏が下館に築城後、同氏の支配地となり、江戸初期に下館藩領となる。元和九年(一六二三)の水野谷様御代下館領村々石高并名主名前控(中村家文書)や寛永一六年(一六三九)の下館領五万石村々石高牒(田宮家文書)に村高五一四・六八八石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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