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宇佐公通 うさの きみみち

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宇佐公通 うさの-きみみち

?-? 平安後期-鎌倉時代の神職。
天養元年(1144)豊前(ぶぜん)宇佐神宮(大分県)の大宮司(だいぐうじ)となる。平氏政権との結びつきがつよく,対馬守(つしまのかみ),のち豊前守に任じられる。寿永2年には都落ちした安徳天皇を自邸にむかえた。平氏滅亡後は破壊された宇佐神宮を再建し,子の公房(きみふさ)が大宮司に再任された。建久4-5年ごろ没したという。

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朝日日本歴史人物事典の解説

宇佐公通

生年:生没年不詳
平安末期から鎌倉初期の八幡宇佐宮の大宮司。宇佐宮大宮司公基の嫡子であるが養子とする説も有力。母は笠氏。天養1(1144)年はじめて大宮司に任じられ,49年間に3回(7回という説もある)も大宮司に任じられた。久安4(1148)年に大宮司に重任された際の任料は絹6万疋であり,そこから宇佐宮大宮司の経済力を推定できる。大宰府を掌握した平家との結合によって仁安1(1166)年に大宰権少弐に任じられる。平家の家人とは断定できないが,平家と結ぶことによって九州最大の荘園領主宇佐宮の維持,再建を図ったといわれている。自らも駅館川(宇佐川)に平田井堰を築き,宇佐領の開発に努めている。治承・寿永の内乱が勃発すると,治承4(1180)年7月に子息公房は「器に堪えず」として自ら3度目の大宮司に還補され,同年9月には平清盛推挙によって絹1万5000疋で豊前守に任じられた。また寿永2(1183)年都を落ちた平家は宇佐の公通館を安徳天皇の行在所としたという。平家の滅亡によって公通の立場は大きな危機に瀕したが,文治1(1185)年に幸にもその地位は安堵された。建久5(1194)年に子息公房が大宮司に再任されており,建久4,5年ころ死去したようである。<参考文献>工藤敬一「内乱期の大宮司宇佐公通」(『荘園公領制の成立と内乱』)

(飯沼賢司)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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