宇留野城跡(読み)うるのじようあと

日本歴史地名大系 「宇留野城跡」の解説

宇留野城跡
うるのじようあと

[現在地名]大宮町宇留野

久慈川低地と浸食谷によって形成された幅約一一〇メートル・奥行約三五〇メートルの台地に構築された平山城。突出した東側台地上に御城みじよう(本丸)中城なかじよう外城とじようの三つの郭、浸食谷に面した西側台地端に四つの郭、計七郭からなる二列の連郭式城郭。久慈川低地に面した台地端の比高約二六メートルの傾斜面には完全な状態で大規模な帯状郭や犬走りの防御施設が残っており、御城と中城、中城と外城の間にもそれぞれ二重の薬研堀や土塁がみられる。

元亨三年(一三二三)九月二三日の関東下知状写(水府志料所収文書)に「宇留野大輔僧都宏瑜」とみえ、宇留野大輔は永仁五年(一二九七)久慈川東岸の加志かし(現富岡)の所領を伊賀翁丸と一時期知行契約しており、宇留野の地に関係があったと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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