守庄(読み)もりのしよう

日本歴史地名大系 「守庄」の解説

守庄
もりのしよう

建長五年(一二五三)の近衛家所領目録(近衛家文書)の「庄務無本所進退所々」のうちに

<資料は省略されています>

とみえる。これは普賢寺殿(藤原基通)が子の興福寺一乗院院主実信に守庄の領家職を荘務権とともに譲渡したことを意味する記録といちおう考えられる。本家職は摂関家に保留されている。高陽院(鳥羽天皇皇后藤原泰子)領というのは、本家職の相承次第と関係することであろう(高市郡の→田永庄

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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