田永庄(読み)たながのしよう

日本歴史地名大系 「田永庄」の解説

田永庄
たながのしよう

摂関家領荘園。鎌倉時代以降五摂家の筆頭近衛家領となる。弘長元年(一二六一)の大和喜殿田永荘百姓申状(春日神社文書)に田永庄得光名名主のことに関して「当庄者四条宮御時立券」とある。四条宮は後冷泉天皇皇后藤原寛子で、この限り皇室領と考えうるが、一期的なものであった関係か、同宮以後の相承次第は、知足院殿(藤原忠実)高陽院(同泰子)―法性寺殿(忠通)―六条殿(基実)普賢寺殿(基通)―猪隈殿(近衛家実)大殿(同兼経)となる(近衛家所領目録)。兼経以後も同じく相伝されたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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