日本歴史地名大系 「母里村」の解説
母里村
もりむら
現伯太町の北部にあって南は
江戸時代に入ると松江藩領となるが、貞享元年(一六八四)母里藩の封地となり、同年藩館が西母里に築造された。これ以前から伯太川西岸沿いの母里集落は都市的発達をみて母里町とよばれ(伯太町史)、この母里町を含んだ村の西部を西母里(村)、東部を東母里(村)と称した。東西に分つ呼称は母里庄の東西分割に淵源し、江戸時代の地方文書では東母里(村)・西母里(村)の二区分ないしは母里町・西母里(村)・東母里(村)に三区分されている例が多いが、正保国絵図には母里村一村が記される。
母里村
もりむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報