日本歴史地名大系 「安堂寺町四丁目」の解説 安堂寺町四丁目あんどうじまちよんちようめ 大阪府:大阪市南区安堂寺町四丁目[現在地名]南区南船場(みなみせんば)二―三丁目安堂寺町三丁目の西にあり、町域は栴檀木(せんだんのき)筋を挟む二町。町名は明暦元年(一六五五)から確認できる(南区志)。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数四三・役数五二役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は深江屋平右衛門。延享版「難波丸綱目」には医師二、売薬に「ちゝのたる薬」として二人が載る。「新刻浪華人物誌全」には画家上田公長があがる。公長は、号は雍洲・水雲閑人、活躍期は天保―嘉永(一八三〇―五四)頃。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by