20世紀日本人名事典 「安川壮」の解説 安川 壮ヤスカワ タケシ 昭和期の外交官 元・駐米大使。 生年大正3(1914)年2月16日 没年平成12(2000)年6月17日 出生地東京 出身地福岡県北九州市 学歴〔年〕東京帝大法学部〔昭和14年〕卒 経歴昭和14年外務省入省。36年官房外務参事官、40年北米局長、41年官房審議官、42年駐フィリピン大使、48年駐米大使を歴任。安保改定や日米経済摩擦問題を担当した知米派の外交官として知られる。退官後は大平内閣で対外経済政策担当政府代表に就き、日米貿易不均衡問題などの対応に当たった。51年三井物産顧問、のち平和・安全保障研究所理事となる。53年より外交知識普及会理事長。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安川壮」の解説 安川壮 やすかわ-たけし 1914-2000 昭和時代の外交官。大正3年2月16日生まれ。安川第五郎の長男。安川定男の兄。昭和14年外務省にはいり,40年北米局長。フィリピン大使,外務審議官をへて48年アメリカ大使となる。54年平和安全保障研究所理事。平成12年6月17日死去。86歳。東京出身。東京帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by