定池村(読み)さだいけむら

日本歴史地名大系 「定池村」の解説

定池村
さだいけむら

[現在地名]新城市豊島とよしま

大野田おおのだ村の南につづき、伊那街道の東に沿う。古く北部に溜池が造られ狭田さだ池とよばれたのが村名の起源という。狭田池は貞享二年(一六八五)根古屋ねごやの溜池となり、現在は水田と化している。慶長五年(一六〇〇)から幕府領、寛永二年(一六二五)より二千石の旗本島田成重の所領となり明治に至る。村域南部は豊川右岸に沿い、川舟を所有し、豊川舟運に参加する者もあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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