熱田神宮(読み)あつたじんぐう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

熱田神宮
あつたじんぐう

愛知県名古屋市熱田区に鎮座する元官幣大社。祭神はアツタオオカミ,神体草薙剣 (くさなぎのつるぎ) で正殿に奉安。アマテラスオオミカミ,スサノオノミコト,日本武尊,ミヤズヒメノミコト,タケイナタネノミコトの5神が合祀されている。日本武尊が東征の際,伊勢神宮より神剣を拝し,帰途,同国吾湯市氷川 (あゆちのひかわ) の里の国造の女簀姫を妃とし,のち伊勢能褒野 (のぼの) で没したので同姫が神剣をまつったという伝承に始る。『延喜式』に「熱田神社」とみえ,古来公武の崇敬厚く,造営のことは天武以来の記録がある。江戸時代末以降その信仰は全国的に広まり,別宮,摂社ができ,尾張氏一族が祠官を世襲した。古文書類の伝承,特殊神事が多い。 1945年戦災にあい建造物は焼失したが,神体その他の宝物は残っている。銘来国後の短刀 (国宝) を所蔵する。現在の正殿は 55年,伊勢神宮旧本殿を譲り受けたもの。6月5日の例祭のほか,5月4日の酔笑人 (ようど) の神事,1月 11日の踏歌 (とうか) 祭が有名。

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百科事典マイペディアの解説

熱田神宮【あつたじんぐう】

名古屋市熱田区に鎮座。旧官幣大社。草薙剣(くさなぎのつるぎ)を神体として熱田大神(天照大神,素戔嗚尊(すさのおのみこと),建稲種命(たけいなたねのみこと),宮簀媛命(みやずひめのみこと),日本武尊(やまとたけるのみこと))をまつる。日本武尊が東夷平定の帰途,尾張で宮簀媛命を妃とし,その後伊勢で没したので,媛が残された剣を熱田にまつったことに由来する。延喜式内の名神大社に比定される。例祭6月5日。ほかに歩射神事(1月15日),酔笑人(えようど)神事(5月4日)などがある。国宝の短刀のほか重要文化財多数。
→関連項目東遊熱田[区]天叢雲剣名古屋[市]

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デジタル大辞泉プラスの解説

熱田神宮

愛知県名古屋市熱田区にある神社。三種の神器の一つである草薙剣を神体とする熱田大神を主神とし、ほかに天照大神(あまてらすおおみかみ)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやずひめのみこと)、建稲種命(たけいなだねのみこと)を祀る。織田信長が桶狭間の戦いの前に戦勝祈願を行い、大勝の礼として寄進した築地塀「信長塀」が残る。

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世界大百科事典 第2版の解説

あつたじんぐう【熱田神宮】

愛知県名古屋市熱田区(《和名抄》の尾張国愛智郡厚田郷)に鎮座し,神体として,三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)をまつる旧官幣大社。相殿に,天照大神(あまてらすおおかみ),素戔嗚(すさのお)尊,日本武(やまとたける)尊,宮簀媛(みやずひめ)命,建稲種(たけいなだね)命(宮簀媛の兄)を配祀する。《古事記》《日本書紀》などによると,日本武尊は東征にさいし,伊勢で斎宮の倭姫(やまとひめ)から神宮に奉安されていた神剣をさずけられ,蝦夷平定に功をたてた。

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大辞林 第三版の解説

あつたじんぐう【熱田神宮】

名古屋市熱田区新宮坂町にある神社。主神は、草薙剣くさなぎのつるぎを神体とする熱田大神。古来、皇室・武家が尊崇。また、尾張開拓の神として東海地方を中心に崇敬者が多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

熱田神宮
あつたじんぐう

愛知県名古屋市熱田区神宮に鎮座。三種の神器の一つ草薙剣(くさなぎのつるぎ)(天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ))を御霊代(みたましろ)として熱田大神(おおかみ)を祀(まつ)り、相殿(あいどの)に天照大神(あまてらすおおみかみ)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやずひめのみこと)、建稲種命(たけいなだねのみこと)を祀る。草薙剣は素盞嗚尊が八岐大蛇(やまたのおろち)退治のとき得て、天照大神に献じたが、大神が天孫降臨のとき、八咫鏡(やたのかがみ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)とともに瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授け、のち八咫鏡とともに伊勢の神宮に祀られていたが、景行(けいこう)天皇の代、東国平定に向かう途中立ち寄った日本武尊に倭姫命(やまとひめのみこと)が神託を受けて授けた。日本武尊は、駿河(するが)(静岡県)で賊が野に火を放って攻めたとき、この剣で草を薙(な)ぎ難を逃れた。のち東国平定の帰途、尾張(おわり)(愛知県)国造(くにのみやつこ)の館にとどまり、その娘宮簀媛命を妃(きさき)としたが、伊吹山(いぶきやま)の賊を平定に行くときこの剣を館に置いて行き、途中病で亡くなった。そこで宮簀媛命は占いによって社地を吾湯市(あゆち)の熱田に定め、この剣を祀ったのが本社の起源である。
 斎部広成(いんべのひろなり)は『古語拾遺(しゅうい)』で律令(りつりょう)体制の初期、本社に対する待遇が十分でないことを指摘したが、その後、822年(弘仁13)従(じゅ)四位下、859年(貞観1)正二位、延喜(えんぎ)の制で名神大社となり、特別に崇敬された。平安末期には広大な社領、荘園(しょうえん)をもったが、鎌倉時代に入り、源頼朝(よりとも)は、その母が大宮司季範(すえのり)の娘であることもあり、とくに保護し、崇敬した。以後、武将の崇敬が続き、江戸時代には徳川氏は御供料405石、大宮司料717石を寄せた。1868年(明治1)それまでの熱田神社の社号を熱田神宮と改めて宣下(せんげ)され、王政復古の由奉告(よしのほうこく)と、即位由奉幣使(よしのほうべいし)が伊勢(いせ)神宮とともに遣わされ、1871年に官幣大社となった。1893年、東の土用殿(どようでん)に神剣、西の正殿に5座の神を奉斎(ほうさい)していた従来の形式(尾張造)を改め、本殿を一つとし、現在のような伊勢神宮と同じ神明造とした。第二次世界大戦で罹災(りさい)、現本殿は1955年(昭和30)の改築。もと尾張氏が奉仕、平安末期にその外孫筋の藤原氏にかわり、明治初年まで続いていた。6月5日の例祭(熱田祭)ほか、踏歌(とうか)神事(1月11日)、歩射(ほしゃ)神事(1月15日)、舞楽(ぶがく)神事(5月1日)、御衣(おんぞ)祭(5月13日)など古例の神事が多い。また国宝、重要文化財の宝物も多い。[鎌田純一]
『篠田康雄著『熱田神宮』(1968・学生社) ▽『熱田神宮史料』(1971~1980・熱田神宮宮庁)』

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世界大百科事典内の熱田神宮の言及

【真清田神社】より

…以後尾張氏とともに発展し,847年(承和14)従五位下,851年(仁寿1)官社に列せられ,865年(貞観7)正四位上,延喜の制で名神大社,のち尾張国一宮とされた。中世武家が崇敬,熱田神宮の造替にあたり,まず当社を造替する例をもった。近世には朱印領336石6斗。…

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