熱田神宮(読み)アツタジングウ

精選版 日本国語大辞典 「熱田神宮」の意味・読み・例文・類語

あつた‐じんぐう【熱田神宮】

  1. 名古屋市熱田区神宮にある神社。旧官幣大社。熱田大神(神体は草薙剣(くさなぎのつるぎ))を主神に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)ほかを相殿にまつる。古くから公武の崇敬があつい。延喜式内明神大社。熱田大宮。熱田大神宮。

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日本歴史地名大系 「熱田神宮」の解説

熱田神宮
あつたじんぐう

[現在地名]熱田区新宮坂町

熱田大神を主神として、天照大神・素盞嗚尊・日本武尊・宮簀媛命・建稲種命を相殿に配祀する。式内名神大社。尾張三宮。旧官幣大社。三種神器の一、草薙剣(天叢雲剣)を祀り、伊勢の神宮に次ぐ大社。「文徳実録」嘉祥三年(八五〇)条には「尾張大神宮」ともみえる。熱田は、熱田台地(名古屋台地)の南端に位置し、古くは伊勢湾に突出た岬になっていた。熱田社はその岬上に鎮座していたが、周辺の干拓と都市化が進んだ現在では岬上に鎮座したという面影はない。約六万坪の境内は、尾張地方における数少ない常緑広葉樹林を形成しており、樹齢一千年前後の楠が数本ある。

〔創始〕

風土記」逸文(「釈日本紀」所引)には次のような創建説話が述べられている。

<資料は省略されています>

「日本書紀」にも「日本武尊の佩せる草薙横刀は、是今、尾張国年魚市郡あゆちのこほりの熱田社に在り」と記している。このように当社は当初より尾張氏の奉斎する神社であった。

〔沿革〕

天智天皇七年、新羅の僧道行が草薙剣を盗み出すという事件があり(日本書紀)、その後宝剣は宮中に安置されたが、朱鳥元年(六八六)天武天皇の病を占ったところ、草薙剣の祟りであるということになり、即日、熱田社に送り返された(同書)。しかし三種神器の一を祀る神社でありながら、朝廷の奉幣がなかったので、斎部広成は「古語拾遺」のなかで、「その草薙剣は、今尾張国熱田の社に在すに、未だ礼典を叙でず。然れば則ち、幣を奉る日、同しく敬を致すべし。しかるを久代より闕如てその礼を修めざるは遺てる所の一なり」と、このことを失典の第一にあげて非難した。弘仁一三年(八二二)熱田の神に従四位下を授けられ、以後、累進して康保三年(九六六)までに正一位に昇っている(日本紀略)

「延喜式」神名帳には「熱田神社名神大」とあり、当社関係の神社として、上知我麻かみちがま神社・下知我麻神社・御田みた神社・日割御子ひさきみこ神社(名神大社)孫若ひこわか御子神社(名神大社)高座結たかくらむすぶ御子神社(名神大社)八剣やつるぎ神社・火上姉子ひかみあねご神社・青衾あおぶすま神社の多くがあげられている。当社は尾張国の三宮と称した(源平盛衰記)。長保四年(一〇〇二)尾張守大江匡衡はその子挙周が翌年、式部丞に任ぜられるように当社に祈念し(朝野群載)、寛弘元年(一〇〇四)には大般若経六〇〇巻を奉献して祈願をこめている(本朝文粋)

当社は尾張氏の奉斎する神社として、その祀職も同族のなかから採用され、長官である大宮司の威勢は国司にもまさると「宇治拾遺物語」に記されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「熱田神宮」の意味・わかりやすい解説

熱田神宮 (あつたじんぐう)

愛知県名古屋市熱田区(《和名抄》の尾張国愛智郡厚田郷)に鎮座し,神体として,三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)をまつる旧官幣大社。相殿に,天照大神(あまてらすおおかみ),素戔嗚(すさのお)尊,日本武(やまとたける)尊,宮簀媛(みやずひめ)命,建稲種(たけいなだね)命(宮簀媛の兄)を配祀する。《古事記》《日本書紀》などによると,日本武尊は東征にさいし,伊勢で斎宮の倭姫(やまとひめ)から神宮に奉安されていた神剣をさずけられ,蝦夷平定に功をたてた。その帰途,尾張国造のもとに立ち寄り,宮簀媛を妃とし,神剣をそのもとにおいて近江に出かけ,病没したので,媛はこの剣を納めるため社をたてた。これが当社の起源であるという。確実な史料としては,668年(天智7),新羅の沙門の道行というものが,ひそかに神剣を盗み帰国しようとしたが,風波に吹きかえされたとあり,それより神剣は皇居にとどめられることになったが,686年(朱鳥1),天武天皇の病にさいし,神剣のたたりによるものといわれたので,ふたたび熱田に送りかえしたとある《日本書紀》の記事である。その後,奈良時代には目だった記事はなく,社格も低かったが,807年(大同2)に,斎部広成が当社を例幣にあずからしめるよう請い,822年(弘仁13),従四位下を授けられ,859年(貞観1)正二位,そののちついに正一位に昇叙された。《延喜式》神名帳には,名神大社とある。この間,神封をよせられ,仁明天皇以後歴代によって神田も寄進された。神社はもともと尾張国造の尾張氏が神主・祝をつとめたが,平安末に大宮司が藤原氏にうつり,源頼朝は,その母が熱田大宮司藤原季範の女であったから,当社を外戚神として敬い,建武中興では,さらに官社に列せられ,朝廷の宗祀となり発展した。中世において,神領は増加し,おもな年次だけでも,1238年(暦仁1),75年(建治1),1337年(延元2・建武4),54年(正平9・文和3)と,その増加が記録され,すでに正安(1299-1302)ごろに,係争のある社領だけでも2644町に達している。神領は尾張国一円におよび,美濃羽島郡にも達している。

 こののち,足利義持,織田信長豊臣秀吉,徳川家康らが社殿の修復をおこない,江戸時代には,尾張藩主徳川氏がそれをつかさどった。ただし神領は,秀吉のため一時没収され,江戸幕府によって御朱印地700余石が寄進された。1868年(明治1),社号が熱田神社から熱田神宮に改められ,王政復古と即位を奉告する奉幣使が遣わされたが,これは伊勢と熱田の2社のみであった。71年,官幣大社に列せられ,93年,社殿を改造し,それまでの尾張造といわれた様式から,伊勢とおなじ神明造に改められた。1935年,本宮をはじめ別宮・末社にいたるまでの大修理が完成したが,45年,大半が戦災によって焼失した。現在の社殿はその後の再興によるものである。

 例祭は,もとは6月21日に行われたが,最近6月5日に改められ,熱田祭の名でよばれる。おもな特殊神事は,踏歌(とうか)神事(1月11日),歩射(ぶしや)神事(1月15日),酔笑人(えようど)神事(5月4日),御田植神事(6月18日)などで,別宮に,八剣宮,摂社に一之御前神社をはじめ13社がある。もっとも古い縁起として《熱田宮寛平縁起》があるが,これは鎌倉初期にまとめられたものであろう。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「熱田神宮」の意味・わかりやすい解説

熱田神宮
あつたじんぐう

愛知県名古屋市熱田区神宮に鎮座。三種の神器の一つ草薙剣(くさなぎのつるぎ)(天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ))を御霊代(みたましろ)として熱田大神(おおかみ)を祀(まつ)り、相殿(あいどの)に天照大神(あまてらすおおみかみ)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやずひめのみこと)、建稲種命(たけいなだねのみこと)を祀る。草薙剣は素盞嗚尊が八岐大蛇(やまたのおろち)退治のとき得て、天照大神に献じたが、大神が天孫降臨のとき、八咫鏡(やたのかがみ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)とともに瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授け、のち八咫鏡とともに伊勢の神宮に祀られていたが、景行(けいこう)天皇の代、東国平定に向かう途中立ち寄った日本武尊に倭姫命(やまとひめのみこと)が神託を受けて授けた。日本武尊は、駿河(するが)(静岡県)で賊が野に火を放って攻めたとき、この剣で草を薙(な)ぎ難を逃れた。のち東国平定の帰途、尾張(おわり)(愛知県)国造(くにのみやつこ)の館にとどまり、その娘宮簀媛命を妃(きさき)としたが、伊吹山(いぶきやま)の賊を平定に行くときこの剣を館に置いて行き、途中病で亡くなった。そこで宮簀媛命は占いによって社地を吾湯市(あゆち)の熱田に定め、この剣を祀ったのが本社の起源である。

 斎部広成(いんべのひろなり)は『古語拾遺(しゅうい)』で律令(りつりょう)体制の初期、本社に対する待遇が十分でないことを指摘したが、その後、822年(弘仁13)従(じゅ)四位下、859年(貞観1)正二位、延喜(えんぎ)の制で名神大社となり、特別に崇敬された。平安末期には広大な社領、荘園(しょうえん)をもったが、鎌倉時代に入り、源頼朝(よりとも)は、その母が大宮司季範(すえのり)の娘であることもあり、とくに保護し、崇敬した。以後、武将の崇敬が続き、江戸時代には徳川氏は御供料405石、大宮司料717石を寄せた。1868年(明治1)それまでの熱田神社の社号を熱田神宮と改めて宣下(せんげ)され、王政復古の由奉告(よしのほうこく)と、即位由奉幣使(よしのほうべいし)が伊勢(いせ)神宮とともに遣わされ、1871年に官幣大社となった。1893年、東の土用殿(どようでん)に神剣、西の正殿に5座の神を奉斎(ほうさい)していた従来の形式(尾張造)を改め、本殿を一つとし、現在のような伊勢神宮と同じ神明造とした。第二次世界大戦で罹災(りさい)、現本殿は1955年(昭和30)の改築。もと尾張氏が奉仕、平安末期にその外孫筋の藤原氏にかわり、明治初年まで続いていた。6月5日の例祭(熱田祭)ほか、踏歌(とうか)神事(1月11日)、歩射(ほしゃ)神事(1月15日)、舞楽(ぶがく)神事(5月1日)、御衣(おんぞ)祭(5月13日)など古例の神事が多い。また国宝、重要文化財の宝物も多い。

[鎌田純一]

『篠田康雄著『熱田神宮』(1968・学生社)』『『熱田神宮史料』(1971~1980・熱田神宮宮庁)』

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百科事典マイペディア 「熱田神宮」の意味・わかりやすい解説

熱田神宮【あつたじんぐう】

名古屋市熱田区に鎮座。旧官幣大社。草薙剣(くさなぎのつるぎ)を神体として熱田大神(天照大神,素戔嗚尊(すさのおのみこと),建稲種命(たけいなたねのみこと),宮簀媛命(みやずひめのみこと),日本武尊(やまとたけるのみこと))をまつる。日本武尊が東夷平定の帰途,尾張で宮簀媛命を妃とし,その後伊勢で没したので,媛が残された剣を熱田にまつったことに由来する。延喜式内の名神大社に比定される。例祭6月5日。ほかに歩射神事(1月15日),酔笑人(えようど)神事(5月4日)などがある。国宝の短刀のほか重要文化財多数。
→関連項目東遊熱田[区]天叢雲剣名古屋[市]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「熱田神宮」の意味・わかりやすい解説

熱田神宮
あつたじんぐう

愛知県名古屋市熱田区に鎮座する元官幣大社。祭神はアツタオオカミ,神体は草薙剣 (くさなぎのつるぎ) で正殿に奉安。アマテラスオオミカミ,スサノオノミコト,日本武尊,ミヤズヒメノミコト,タケイナタネノミコトの5神が合祀されている。日本武尊が東征の際,伊勢神宮より神剣を拝し,帰途,同国吾湯市氷川 (あゆちのひかわ) の里の国造の女宮簀姫を妃とし,のち伊勢能褒野 (のぼの) で没したので同姫が神剣をまつったという伝承に始る。『延喜式』に「熱田神社」とみえ,古来公武の崇敬厚く,造営のことは天武以来の記録がある。江戸時代末以降その信仰は全国的に広まり,別宮,摂社ができ,尾張氏一族が祠官を世襲した。古文書類の伝承,特殊神事が多い。 1945年戦災にあい建造物は焼失したが,神体その他の宝物は残っている。銘来国後の短刀 (国宝) を所蔵する。現在の正殿は 55年,伊勢神宮旧本殿を譲り受けたもの。6月5日の例祭のほか,5月4日の酔笑人 (ようど) の神事,1月 11日の踏歌 (とうか) 祭が有名。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「熱田神宮」の解説

熱田神宮
あつたじんぐう

名古屋市熱田区神宮に鎮座。式内社・尾張国三宮。旧官幣大社。祭神は熱田大神,相殿に天照(あまてらす)大神・素盞嗚(すさのお)尊・日本武(やまとたける)尊・宮簀媛(みやずひめ)命・建稲種(たけいなだね)命を配祀。三種の神器の一つ草薙(くさなぎ)剣を祭る。日本武尊の妃,尾張国造の女宮簀媛命が,尊の死後,社をたてて草薙剣を祭ったのが起源とされる。平安末期まで尾張氏の一族が祀官を世襲。源頼朝は,母が大宮司藤原季範の女であったことから当社を「外戚之祖神」として崇敬し,鶴岡八幡宮に熱田社を勧請した。後醍醐天皇は建武の新政に際して当社を官社に列し,足利・豊臣・織田・徳川の諸氏は社殿の造営・修造を行った。1686年(貞享3)5代将軍徳川綱吉の行った修復・遷宮はとくに大規模なものであった。建築様式は,本殿と神剣を祭る土用殿が並立する尾張造だったが,1893年(明治26)伊勢神宮とほぼ同様の神明造に改められた。例祭は6月5日。

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デジタル大辞泉プラス 「熱田神宮」の解説

熱田神宮

愛知県名古屋市熱田区にある神社。三種の神器の一つである草薙剣を神体とする熱田大神を主神とし、ほかに天照大神(あまてらすおおみかみ)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやずひめのみこと)、建稲種命(たけいなだねのみこと)を祀る。織田信長が桶狭間の戦いの前に戦勝祈願を行い、大勝の礼として寄進した築地塀「信長塀」が残る。

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旺文社日本史事典 三訂版 「熱田神宮」の解説

熱田神宮
あつたじんぐう

名古屋市熱田区にある神社。三種の神器の一つ草薙剣 (くさなぎのつるぎ) を神体とする
日本武尊 (やまとたけるのみこと) が東国征討ののち,尾張国の国造 (くにのみやつこ) の娘と結婚し草薙剣を預けたのを,日本武尊の死後祀ったのが起源という。

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事典・日本の観光資源 「熱田神宮」の解説

熱田神宮

(愛知県名古屋市熱田区)
日本三大神宮」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の熱田神宮の言及

【真清田神社】より

…以後尾張氏とともに発展し,847年(承和14)従五位下,851年(仁寿1)官社に列せられ,865年(貞観7)正四位上,延喜の制で名神大社,のち尾張国一宮とされた。中世武家が崇敬,熱田神宮の造替にあたり,まず当社を造替する例をもった。近世には朱印領336石6斗。…

※「熱田神宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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