宝慶寺村(読み)ほうきようじむら

日本歴史地名大系 「宝慶寺村」の解説

宝慶寺村
ほうきようじむら

[現在地名]大野市宝慶寺

清滝きよたき川の最上流に位置する山村。西は普聞ふもん坂を越えて大本おおもと(現今立郡池田町)に至る。宝慶寺領は正安元年(一二九九)一〇月一八日の沙弥知円他寄進状(宝慶寺文書)によれば「小山庄木本郷内」にあってその敷地や四至も確認されるが、当村は宝慶寺の門前村として発達したと思われる。永禄九年(一五六六)七月一六日の宝慶寺寺領目録(同文書)には「宝慶寺米方納帳門前分」として七五石二斗七升、作人三五名、「宝慶寺門前代方納帳」として五貫二三一文、山手銭門前家別八〇文ずつ、計五貫三一一文が記されている。

村名は慶長四年(一五九九)六月一二日の竹内久助他連署状(同文書)の宛書に「宝慶寺村 正立小作はしつめ さかや小作まへ田 両人」とみえる。同一八年七月二一日の松平忠直寄進状(同文書)には寺領として高五〇石を「宝鏡寺村内」から寄進するとしている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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