朝日日本歴史人物事典 「宮崎フアン」の解説
宮崎フアン
生年:生年不詳
フランシスコ会の日本人司祭。殉教者。長崎生まれ。慶長19(1614)年のキリシタン禁教令後,フィリピンに渡り,哲学と神学を学び,元和5(1619)年マニラにおいて司祭に叙階された。翌年日本に帰国するや,ただちに仙台に行き,伊達政宗にソテロ神父の伝言を伝え,その後も同地に残ってフランシスコ会の宣教師を援助した。のち長崎に戻り,寛永5(1628)年には近在で活動していたが,同10年,長崎で捕らえられ,同年9月2日長崎西坂刑場において逆さ吊るしの拷問にあい6日後に殉教した。<参考文献>T.オイテンブルク『十六~十七世紀の日本におけるフランシスコ会士たち』(石井健吾訳)
(宮崎賢太郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報