宮崎フアン(読み)みやざき・ふあん

朝日日本歴史人物事典 「宮崎フアン」の解説

宮崎フアン

没年:寛永10.9.7(1633.10.9)
生年:生年不詳
フランシスコ会日本司祭殉教者長崎生まれ。慶長19(1614)年のキリシタン禁教令後,フィリピンに渡り,哲学神学を学び,元和5(1619)年マニラにおいて司祭に叙階された。翌年日本に帰国するや,ただちに仙台に行き,伊達政宗にソテロ神父の伝言を伝え,その後も同地に残ってフランシスコ会の宣教師を援助した。のち長崎に戻り,寛永5(1628)年には近在で活動していたが,同10年,長崎で捕らえられ,同年9月2日長崎西坂刑場において逆さ吊るしの拷問にあい6日後に殉教した。<参考文献>T.オイテンブルク『十六~十七世紀の日本におけるフランシスコ会士たち』(石井健吾訳)

(宮崎賢太郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮崎フアン」の解説

宮崎フアン みやざき-フアン

?-1633 江戸時代前期のキリシタン。
フランシスコ会の日本人司祭。慶長19年(1614)の禁教令後マニラにわたり,神学,哲学をまなんで司祭となる。寛永5年ごろ長崎にもどって活動していたが,10年9月7日逆さ吊(つ)るしの刑で殉教。肥前長崎出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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