宮田荘(読み)みやたのしょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「宮田荘」の意味・わかりやすい解説

宮田荘
みやたのしょう

摂関家領(せっかんけりょう)のうち近衛(このえ)家に伝領された荘園丹波(たんば)国多紀(たき)郡(兵庫県丹波篠山(ささやま)市)にあった。隣荘は東寺(とうじ)領大山(おおやま)荘。宮田荘の成立は平安時代中期以前にさかのぼるものと考えられる。荘支配は、近衛家家司(けいし)である預所(あずかりどころ)と、荘内有力名主や近隣土豪である現地の下司(げし)・公文(くもん)によって行われた。鎌倉時代末には大山荘地頭(じとう)との間に山野用水をめぐる争いが起こっており、また多紀・船井(ふない)・天田(あまた)・氷上(ひかみ)郡にまたがる広範囲の結合組織をもった悪党の侵入をたびたび受けている。そして1409年(応永16)には山名(やまな)氏の支配下に入り、のち、1468年(応仁2)に荘半分についての支配権を回復するが名目的なものにすぎなかったようである。

[伊藤敏子]

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