本来は律令制下における公的文書の総称で,とくに大計帳,正税帳,調帳,朝集帳は四度公文として重視された。これら公文を取り扱う所が公文所でその取扱者をも公文と称することがあった。例えば国衙公文所,僧綱所の公文(従儀師の筆頭が選任され,僧綱文書の発給責任者として日付下に署名)があり,公家や社寺でも文書を扱う職掌を公文といった。鎌倉末期の法書《沙汰未練書》には,所務沙汰(しよむさた)の取扱い手続に関して〈開闔(かいこう)執筆ハ奉行中宿老,引付細々事記録仁也,又公文トモ云也〉とあり,幕府の引付の書記も公文といったことが知られる。しかし公文のもっとも一般的用例は,荘園の下級荘官職の一種としてである。このような用例の早いものとして,承保1年(1074)3月2日の近江国奥島荘司解(《長命寺文書》)に付けられた在地証判に,〈津田御庄司等〉の一人として〈南公文僧〉が見えるが,このころから以降中世を通じて下司,田所,案主,惣追捕使などとならんで,中世在地荘官名として頻出する。公文職の初見は承徳2年(1098)2月10日の播磨大掾秦為辰譲状案(《東寺百合文書》)に〈赤穂郡久富保公文職幷重次名地主職等事〉とあるもので,これを息男為包に譲与している。このように公文職は他の在地荘官職と同様に開発領主等在地有力者によって相伝されるが,就任にあたっては〈領家任符〉あるいは〈領家地頭相共任符〉をもって補任・相続安堵を受けた。
公文の職掌は本来は当然文書の取扱いに関係するもので,備後国大田荘では公文得分として〈文料段別二升〉が見える(《高野山文書》)。しかし下司が在地荘官の筆頭者として〈惣公文〉と呼ばれたり,大田荘のように荘を構成する二つの郷にそれぞれ下司がおり,郷内の村ごとに公文がいるといった場合もあり,かならずしも文書取扱いの専掌者ではないのが普通である。室町時代には公文,田所,惣追捕使を〈三職〉と称し(播磨国矢野荘や備中国新見荘),相ともに年貢・公事の収納や領家との折衝に当たった。公文にはその職務に対して得分が与えられる。周防国与田保公文湛与は公文給5町,公文名26町3反余,在家15宇を給されている(《東大寺文書》)。村ごとに公文のいる大田荘では人別給田2町,文料段別2升であった。このような村ごとの公文に対し,近時〈村落領主〉の規定がなされている。平安後期から鎌倉期,これら公文は村の勧農の中心的担い手であり,農民把握の要をなすものであった。したがって荘園現地の実質的支配権をめぐる鎌倉期における領家と地頭の争いは,しばしば公文の進退権をめぐって行われた。なお特殊な用例として,室町時代,五山・十刹・諸山など官寺禅院の住持の任命辞令(多くは幕府発行)を公文・公帖(こうじよう)といい,実際に入寺しない者に官銭を得るために出したものを売公文,入寺しない者を坐公文・居公文(いなりくもん)といった。
→公文所
執筆者:工藤 敬一
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古代・中世の公文書(こうぶんしょ)、転じてそれを取り扱う職掌をいう。公文とは本来、律令(りつりょう)制における公式様(くしきよう)文書をさし、語源もそこに由来する。しかし平安時代においては、これらに加えて、大計(だいけい)帳、正税(しょうぜい)帳、朝集(ちょうしゅう)帳、調帳の中央と地方の行政を結ぶ四度(よどの)公文が重視され、公文とはこれらの代名詞のようにさえなった。時代が下るにしたがって寺社や貴族・武家権門の発給する文書も公文とよばれるようになり、家政機関としての公文所が生まれた。しかし、公文がもっとも注目を浴びるのは荘園(しょうえん)制における荘官としての存在である。荘官としてはほかに下司(げし)や田所(たどころ)などがあったが、なかでも公文は下級のものと考えられている。荘園における荘官の職掌は個々の荘園において差異があるが、公文については文書を扱うという点においてはほぼ一貫しており、したがって読み書きのできる人物があてられた。具体的には、年貢納入の際作成される算用状(帳)や結解(けちげ)の作成にあたった。ほかにも勧農(かんのう)などの権能があった。また、公文の実態的な性格としては荘・保の開発領主が多く、所領の一部は荘園領主から給田などの得分(とくぶん)として認められ、それらをてこに在地領主化する者もあった。
[蔵持重裕]
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律令制で行政上有効な文書。律令条文では官司の間に授受される文書と,各官司で保管される案文の両方をさす。大宝令の施行により律令文書行政が本格的に開始されると,国家運営のうえで諸国から多くの帳簿類が送られるようになり,やがて諸国の四度使(よどのつかい)が持参する文書をとくに四度公文というようになった。すでに734年(天平6)の出雲国計会帳でも,貢調使・大帳使・朝集使の持参した帳簿類を公文と総称している。また「政事要略」は諸国から進上する公文として多くの種類の帳簿名をあげている。正倉院文書中の8世紀の公文のように,反故(ほご)文書として紙背が利用されたために伝存したもの以外にも,近年では地方で作成された案文が漆紙文書として多数出土する。
荘官の一つ。公の文書を扱うことに由来する職名か。平安末期以降は荘園の現地管理にあたる荘官の職名として広くみられ,下司(げす)などと同様に年貢・公事(くじ)・夫役(ぶやく)の徴納にあたった。開発領主などが相伝する公文職として,荘園領主から補任されることによって地位が保証されていた。
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…中国,官庁の公文書の古称。また公文ともいう。…
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