日本歴史地名大系 「宿院負田」の解説 宿院負田しゆくいんふでん 奈良県:五條市宿院負田康和二年(一一〇〇)の宿院司内蔵永俊去文案(栄山寺文書)には、宿院負田坪々として(括弧内は坪数)、佐味(さび)条四里(二)・六里(三)、郡(こおり)条二里(三)、真土(まつち)条八里(四)、荒木坂(あらきさか)条二里(二)、堤(つつみ)条一里(四)、重坂(へさか)条四里(一)、河南(かなん)三条五里(一)があげられている。この条里からみると、同負田は現三在(さんざい)町・宇野(うの)町・新(しん)町と吉野川南の野原(のはら)町に比定され、散在的であったと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by