富堂村(読み)とみんどうむら

日本歴史地名大系 「富堂村」の解説

富堂村
とみんどうむら

[現在地名]天理市富堂とみどう

田井たいしよう村・岩室いわむろ村間に所在。正和元年(一三一二)の僧永弁田地段米寄進状(東大寺文書)に「在山辺郡田井庄并先在、参段富堂」とあり、「多聞院日記」弘治元年(一五五五)一二月二八日条に「常如院ヘ(富)堂・長柄両庄ノ反銭七貫文昨日遣之」、同永禄一一年(一五六八)五月一五日条には「神人新二郎富堂より返り了」とある。

江戸初期は幕府領(代官大久保長安)、元和郷帳の村高四六二・七三石。元和五年(一六一九)郡山藩(松平忠明)領となり、二割半無地高増政策で村高五七八・四一三石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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