多聞院日記(読み)タモンインニッキ

デジタル大辞泉 「多聞院日記」の意味・読み・例文・類語

たもんいんにっき〔タモンヰンニツキ〕【多聞院日記】

興福寺多聞院院主長実房英俊ほかの日記。46冊。文明10年(1478)から元和4年(1618)に至る。戦国時代から近世初期の社会文化を知る貴重な史料

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精選版 日本国語大辞典 「多聞院日記」の意味・読み・例文・類語

たもんいんにっきタモンヰンニッキ【多聞院日記】

  1. 室町後期から江戸前期にかけて書かれた日記。四六巻。奈良興福寺の塔頭(たっちゅう)多聞院の院主の手によるもので主として僧英俊の記。文明一〇年(一四七八)から元和四年(一六一八)に至る。奈良・京都中心とする政治仏教経済・文化・風俗の諸般にわたる文献史料として信頼性の高いもの。

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改訂新版 世界大百科事典 「多聞院日記」の意味・わかりやすい解説

多聞院日記 (たもんいんにっき)

戦国~江戸初期の興福寺多聞院院主の日記。長実房英俊の日記を中心としている。1478-1618年(文明10-元和4)の記事を載せる。多聞院日記の称は,近世初頭より同寺大乗院において英俊の日記ほかを書写しはじめ,近世半ばに全46帖となし,各帖の表紙に〈多聞院日記〉と記したのによる。しかしこのうち〈文明十年日記〉〈文明十五年・文明十六年・文明十七年多聞院長実房英俊之記〉は学賢房宗芸の日記,〈永正二年乙丑・同三年丙寅日記〉は延尭房賢清の日記である。また〈天正八九十之記別会所記〉は別会五師宗栄の日記より同年の部分抄写であるが,〈慶長四年日記〉〈元和二年丙辰・元和三年丁巳・元和四年戊午流覚記・玉蔵記〉とともにその筆者は不明である。以上のほか40帖が英俊の日記である。原本は散逸し写本が興福寺に伝存。関係史料と合わせて《多聞院日記》5冊として刊行された(後に《増補史料大成》に収録)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「多聞院日記」の意味・わかりやすい解説

多聞院日記
たもんいんにっき

奈良興福(こうふく)寺の学侶(がくりょ)多聞院英俊(えいしゅん)らの日記。原本は散逸したが、興福寺所蔵四十六巻本など多くの写本が現存する。1478年(文明10)から1618年(元和4)にわたるが、『文明(ぶんめい)十年記』『文明十五、十六、十七年記』は学賢房宗芸(がっけんぼうそうげい)、『天正(てんしょう)八、九、十年記』は妙喜院宗英(みょうきいんそうえい)の別会五師方記(べちえごしかたき)であり、『永正(えいしょう)二、三年記』など筆者不明の部分もある。主要部分は英俊の日記で、1534年(天文3)から96年(慶長1)にわたっている。内容は、興福寺内外の情勢を中心として、大和(やまと)、山城(やましろ)などの事件にまで及んでおり、中世から近世に至る転換期の重要史料である。刊本『多聞院日記』全5冊(辻善之助(つじぜんのすけ)編)がある。

[小泉宜右]

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日本歴史地名大系 「多聞院日記」の解説

多聞院日記
たもんいんにつき

四六巻

写本 興福寺ほか

解説 興福寺多聞院の宗芸・英俊・宗栄等の日記で、文明一〇年から近世にかけての政治・経済・社会・文化の各面にわたる信憑性の高い史料。

活字本 「多聞院日記」(昭和一〇―一四年)ほか

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百科事典マイペディア 「多聞院日記」の意味・わかりやすい解説

多聞院日記【たもんいんにっき】

中世から近世への移行期における日記。筆者は奈良興福寺の子院多聞院の院主である長実房英俊(ちょうじつぼうえいしゅん)ら。記事は1478年から1618年に及ぶが,欠けている年代も多い。原本は散逸しており,写本が興福寺に伝わる。内容は英俊の日記が中心で,政治・社会・文化など多岐にわたり,移行期の動きを知ることのできる史料として評価が高い。
→関連項目徳川家康

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「多聞院日記」の意味・わかりやすい解説

多聞院日記
たもんいんにっき

奈良興福寺多聞院主の日記。 46巻。文明 10 (1478) ~元和3 (1617) 年の 139年間にわたる記録。著者は初めの部分は学賢房宗芸,妙喜院宗英で,大部分は学侶多聞院英俊によるものであり,著者不明の部分が混入している。戦国時代から江戸時代初期にいたる社会変革期の史料として貴重である。刊本は全5冊。

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旺文社日本史事典 三訂版 「多聞院日記」の解説

多聞院日記
たもんいんにっき

奈良の興福寺多聞院の日記
46巻。筆者は宗芸 (しゆげい) ・英俊・宗英 (そうえい) らで,特に英俊の手になる部分が多い。1478〜1618年に至る,戦国時代から江戸初期までの政治・社会経済・文化の全般にわたり豊富な史料を提供する重要な記録。

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世界大百科事典(旧版)内の多聞院日記の言及

【トウガラシ(唐辛子)】より

…第1は1542年(天文11)ポルトガル人が伝えたとするもの(佐藤信淵など),第2は1605年(慶長10)とする説(橘南谿(たちばななんけい)など),第3は秀吉の朝鮮出兵,つまり文禄・慶長の役(1592‐98)の際,種子を持ち帰ったとするもの(貝原益軒など)であるが,どうやら第3説が正しいようである。トウガラシの語が見られるのは《毛吹草》(1638)あたりからであるが,《多聞院日記》文禄2年(1593)2月18日条には,明らかにトウガラシである物がコショウとして記載されている。それは,コショウの種と称する物をもらったというのだが,その種はナスの種のように小さく平らで,赤い袋の中にたくさん入っており,その袋の皮の辛さには肝をつぶしたというのである。…

※「多聞院日記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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