富士塚古戦場(読み)ふじづかこせんじよう

日本歴史地名大系 「富士塚古戦場」の解説

富士塚古戦場
ふじづかこせんじよう

[現在地名]安城市上条町 富士塚

東海道本線に沿って南に広がる丘上にある。天文九年(一五四〇)から同一八年にかけて、五度にわたる安祥あんしよう城攻防戦が繰広げられた安城合戦の主戦場の一つ。

天文九年六月、織田信秀と安祥城の森左馬助長家、援軍松平信康・藤井松平利長とが白兵戦を展開した。両軍の死傷者は一千余人を数え、信秀軍は大打撃を被り、ひとまず引揚げて尾張に帰ったが、安祥側も長家・信康・利長一族はじめ、有力な将領五〇余人が討死した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android