安城市(読み)アンジョウシ

デジタル大辞泉 「安城市」の意味・読み・例文・類語

あんじょう‐し〔アンジヤウ‐〕【安城市】

安城

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「安城市」の解説

安城市
あんじようし

面積:八五・六七平方キロ

愛知県のほぼ中央、西三河平野の中心をなす位置にある。四囲は七市に接しているが、それらとの境界は、西尾市との間の一部が矢作川に境されているほかは、碧南市との間のあぶらふちおよび長田おさだ川の部分を除いて、とくに目立った地形的境界はみられない。市の主部は、碧海へきかい台地とよばれる洪積台地で、小松原の続く原野であったが、明治一三年(一八八〇)明治めいじ用水の開削と、同二二年の東海道線の開通によって飛躍的に発展をみた。安城の名は、岡崎六供ろつく(現岡崎市)甲山こうざん護摩ごま堂内にある不動明王の剣の裏書「当国碧海郡志貴荘安祥村 大同三年」を初見とし、天文一五年(一五四六)頃から安城の文字が使われている。

〔原始〕

安城ヶ原とよばれた碧海台地とその周辺にあたる二本木にほんぎ町・石井いしい町など五ヵ所で、原始時代の人々が残した最古の遺物である有舌尖頭器が採集されている。また各地に石鏃が出土し、チャート類が最も多く、かなり広い地域との交流を物語る。東端ひがしばた貝塚や堀内ほりうち貝塚は縄文時代晩期中頃の遺跡であり、縄文時代晩期の土器を出土する小貝塚が三ヵ所ある。古井ふるい遺跡は弥生時代後期の遺跡で、弥生時代前期・中期の遺跡は六ヵ所、後期の遺跡は二二ヵ所を数える。矢作川流域で最も古い古墳といわれる塚越つかこし古墳や矢作川流域で第二の規模をもつ二子ふたご古墳がある。これらの古墳とは違った形式の古墳が桜井さくらい和泉いずみ東別所ひがしべつしよ・西別所・根崎ねさき・東端などにある。がっしりした横穴式石室をもち、後期古墳とよばれる。

〔古代〕

奈良時代に創建された寺院で、旧碧海郡の郡域において現在廃寺跡としてその存在が知られているものに、北野きたの廃寺跡・能光のうこう廃寺跡(現岡崎市)寺領じりよう廃寺跡・別郷べつごう廃寺跡がある。白鳳時代あるいは天平時代のものと思われる古瓦が出土する。この寺は奈良時代の中葉か後半に伽藍がそろい始めたと思われる。奈良時代に三河国に長谷部文選がいたことを「続日本紀」は記す。

和名抄」に記す碧海郡一五郷のうち、桜井・小河・大岡の三郷は明らかに安城市域にあったとされ、それぞれ桜井・小川おがわ大岡おおおかの地に比定される。他の郷の中でも、諸説によって、刑部・依納・鷲取・谷部・大市の五郷も安城市域にあったとされる。また「延喜式」神名帳に記す碧海郡六神社のうち、和志取わしとり神社・日長ひなが神社・比蘇ひそ神社が安城市域内の神社とされるが、諸説があって定まらない。

律令国家が後退するなかで、一〇世紀に入ると、権門勢家の三河進出が続き、三河志貴しき庄が成立する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安城市」の意味・わかりやすい解説

安城〔市〕
あんじょう

愛知県中部,矢作川右岸にある市。 1952年市制。江戸時代,岡崎平野の大部分を占める安城ヶ原は原野であったが,1880年明治用水が完成し,水田地帯となった。 91年東海道本線が開通し駅前に集落が発達。米とムギの二毛作に養鶏などが加わった多角経営が採用されて,大正末頃から日本のデンマークといわれ,協同組合組織も広く普及し典型的な農村型都市となっていた。第2次世界大戦後,特に工場誘致を積極的に進め,名古屋,刈谷方面から自動車,機械工業を中心として多数の工場が進出。県内では豊田,名古屋に次ぎ,刈谷に並ぶ工業出荷額がある。 JR東海道新幹線,名古屋鉄道名古屋本線,西尾線が通る。二子古墳姫小川古墳は国の史跡に指定されている。県指定の無形文化財の三河万歳は有名。面積 86.05km2。人口 18万7990(2020)。

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