日本歴史地名大系 「富士見町四丁目」の解説 富士見町四丁目ふじみちようよんちようめ 東京都:千代田区旧麹町区地区富士見町四丁目[現在地名]千代田区富士見二丁目明治五年(一八七二)に通称裏四番町(うらよばんちよう)通から土手四番(どてよばん)町までを画して成立。東は富士見町五丁目、北西は外堀、南は同三丁目。江戸時代初期からの武家地番町の一画で、正保期(一六四四―四八)には一面武家屋敷(正保江戸絵図)。享保九年(一七二四)一月の赤城明神下(あかぎみようじんした)(現新宿区)から飯田(いいだ)町までの火事の後、一部の屋敷地は火除地となった。その地はしだいに屋敷地に戻ったが、寛政四年(一七九二)七月にも類焼し跡地は火除地となり、文化三年(一八〇六)には陸奥福島藩板倉家の上屋敷となって幕末に至った(沿革図書など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by