富山元十郎(読み)とみやま・もとじゅうろう

朝日日本歴史人物事典 「富山元十郎」の解説

富山元十郎

生年生没年不詳
江戸後期幕吏。諱は保高。寛政11(1799)年,東蝦夷地上知に伴い赴任,その経営に当たる。享和1(1801)年,択捉島,得撫島を調査。得撫島に「天長地久大日本属島」と記した標柱を建てるとともにトウボにおいてロシア人ケレトフセから同地の事情を聞く。また箱館奉行所建設に際し,井戸の水量不足を補うために箱館山を調査し湧水を発見。箱館奉行羽太正養はこれを富山泉と命令し,「くみそめし泉とともにいさをしのその名もつきず世々に伝へて」と歌を添えた。文化4(1807)年,箱館奉行調役に昇進。<参考文献>『新撰北海道史』2巻,『函館市史』通説1,羽太正養編『休明光記附録』3―22(『新撰北海道史』5巻)

(麓慎一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富山元十郎」の解説

富山元十郎 とみやま-もとじゅうろう

?-? 江戸時代中期-後期の武士
幕臣。寛政5年(1793)漂流民大黒屋光太夫を護送してきたロシア使節ラクスマンらの応対にあたる。11年幕府直轄となった東蝦夷(えぞ)地の経営に従事。享和元年(1801)得撫(うるっぷ)島を調査,同地に「天長地久大日本属島」の標柱をたてた。名は保高。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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