デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富岡検校」の解説 富岡検校 とみおかけんぎょう ?-? 江戸時代中期の地歌演奏・作曲家。大坂の人。宝暦13年(1763)検校となる。端歌物「逢ふ夜の月」「柴小舟」などを作曲。浄瑠璃(じょうるり)のひとつ繁太夫節より「紙治(河庄)」「橋尽し」などを移曲し,地歌の繁太夫物として今日までつたわっている。名は恵一。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の富岡検校の言及 【繁太夫節】より …大坂では盲人音楽家の浄瑠璃物として喜ばれ,それ以前の浄瑠璃物も繁太夫風に改調された。また富岡検校の《橋づくし》《髪梳き》,峰崎勾当の《薄雪》などの新作も作られたが,明治年間には門付(かどづけ)が演奏したので,品が悪いとして一般には演奏されなくなった。しかし富崎宗順が伝えていて富崎春昇に教え,春昇が1917年に上京してこれを紹介してから,世に知られるようになった。… ※「富岡検校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by