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検校 けんぎょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

検校
けんぎょう

中国および日本の僧侶および盲人の官職名。「建業」とも書く。検 (あらた) め校 (かんがえ) る意から出たもので,中国では東晋時代からあって,唐代には検校官と称した。日本では推古 32 (624) 年に僧尼を監督するとしておかれ,のちに大きな社寺において総務を監督する僧官の名称となった。また,大嘗会などの大きな朝儀の総裁の職や荘官の一種にもこの名がある。室町時代に盲人の自治組織である当道職屋敷の制度 (→当道 ) がおかれて,その職名となり,その最高の階級の官名となった。特に最高位の検校は職検校または総検校といって,1人と定められ,職屋敷を統括,江戸時代に江戸に惣録屋敷がおかれてからは,その統括者を惣録検校ともいった。検校になるためには 1000両を要するといわれ,総検校は 10万石の大名と同等の格式があった。

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デジタル大辞泉の解説

けん‐ぎょう〔‐ゲウ〕【検校/××挍】

物事を調べただすこと。また、その職。
社寺で、事務を監督する職。また、一寺の上位者で衆僧を監督する者。
荘園役人の一。平安・鎌倉時代に置かれた。
室町時代以降、盲人に与えられた最高の官名。専用の頭巾衣服・杖などの所持が許された。建業。

けん‐こう〔‐カウ〕【検校】

調査し考え合わせること。→けんぎょう(検校)

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百科事典マイペディアの解説

検校【けんぎょう】

(1)寺社の事務を総轄する職。平安時代から東大寺・高野山・東寺などの寺院,熊野三山や石清水(いわしみず)・春日・日吉(ひえ)・北野などの神社におかれた。(2)盲人の官名。
→関連項目荒川荘方上荘勾当野原荘端唄別当

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世界大百科事典 第2版の解説

けんぎょう【検校】

(1)撿挍とも書く。ものごとを点検し,誤りを正すというもとの意味から,のちにその任にある人,さらに職名となった。中国の検校(けんこう)は南北朝以来の官名だが,日本では《日本書紀》推古32年(624)の条に〈僧正僧都に任じ,よってまさに僧尼を検校せしむべし〉とあるのが初例である。大宝令には〈采女(うねめ)等を検校することを掌る〉と,采女司の采女正の職掌の説明が見え,検校の語の古い用例がわかる。(2)寺社の検校。

けんこう【検校 jiǎn jiào】

中国の官名。正官を授けられずその任にあたるとき,仮官として検校の字を冠する。検校御史,検校祭酒など南北朝以来ある。宋代には検校太師から検校水部員外郎まで多くの名目的な検校官があり,武官文官の肩書として与え,また文官を武官に任命するときこれを加えた。元代の中書省には検校官という公文書を扱う官があり,明代の各官庁にも置かれ,清代には各府に置かれた。日本では僧尼をとりしまる官名として用いられ,のちには盲人の統率者を意味し,検校(けんぎよう)という。

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大辞林 第三版の解説

けんこう【検校】

( 名 ) スル
調べ考えること。調査し考え合わせること。 「両軍の勢力をば比較-する/此一戦 広徳」 → けんぎょう(検校)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

検校
けんぎょう

とも書く。点検典校の意から、中国では経籍(けいせき)をつかさどる官名などに用いる。日本では、事務を検知校量することから、平安・鎌倉時代の荘官(しょうかん)の職名に用いられた。しかし、とくに僧職の名として用いられる場合が多く、寺社の事務を監督する職掌をいう。常置の職としては、896年(寛平8)東寺の益信(やくしん)が石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)検校に任ぜられたのが初出で、高野山(こうやさん)、熊野三山、無動寺などにおいても、一山を統領する職名であった。法会(ほうえ)や修理造営の行事を主宰する者の呼称としても用いられる。中世には盲目の琵琶法師(びわほうし)仲間(当道(とうどう)座)の長老も検校とよばれ、『師守(もろもり)記』貞治(じょうじ)2年(1363)条の「覚一(かくいち)検校」が初見とされる。江戸時代には当道座が幕府によって認められ、惣(そう)検校の下に検校・別当・勾当(こうとう)・座頭(ざとう)などの官位があった。また、江戸には関八州の盲僧を管轄する惣録(そうろく)検校も置かれた。平曲のほか地歌、箏曲(そうきょく)、鍼灸(しんきゅう)、按摩(あんま)などに従事する者で官位を目ざす者は試験を受け、多額の金子(きんす)を納めてこの職名が授けられた。[石川力山]

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世界大百科事典内の検校の言及

【当道】より

…その芸能が〈平曲〉としてとくに武家社会に享受され,室町幕府の庇護を受けるに及んで,平曲を語る芸能僧たちは宗教組織から離脱して自治的な職能集団を結成,宗教組織にとどまっていた盲僧と区別して,みずからを当道と呼称した。覚一(かくいち)検校(1300?‐71)の時代に至って,組織の体系化が行われ,当道に属する盲人を,検校勾当(こうとう),座頭などの官位に分かち,全体を職(しよく)または職検校が統括し,その居所である京都の職屋敷がその統括事務たる座務を行う場所となった。さらに,仁明天皇の皇子で盲人の人康(さねやす)親王を祖と仰ぐなどの権威づけを行い,治外法権的性格を持つに至った。…

【平曲】より

…如一は《平家物語》の詞章の改訂に着手したが,その弟子で〈天下無雙(むそう)の上手〉といわれた明石覚一(あかしかくいち)(?‐1371)はさらに改訂・増補を重ね,〈覚一本〉とよばれる一本を完成し,一方流平曲の大成者として以後の平曲隆盛の基盤をつくった。このころ,平曲を語る盲人たちは,〈当道(とうどう)〉という座を結成し,お互いの縄張りを確保するようになるが,覚一は文献上最初の検校(当道座の最高位)であり,当道の祖といわれる。覚一以後,平曲は最盛期を迎え,平曲家の増大にともなって一方流が妙観,師道,源照,戸嶋の4派,八坂流が妙聞,大山の2派に分かれた。…

【盲人】より

…この平曲の座は天夜尊(あまよのみこと)(仁明あるいは光孝天皇の皇子人康(さねやす)親王ともいう)を祖神とする由来を伝え,祖神にちなむ2月16日の積塔(しやくとう),6月19日の涼(すずみ)の塔に参集して祭祀を執行した。座内には総検校以下検校(けんぎよう),勾当(こうとう),座頭(ざとう)の階級があり,座衆は師匠の系譜によって一方(いちかた),城方(じようかた)の平曲2流に分かれていた。権門を本所(ほんじよ)として祭事を奉仕し,その裁判権に隷従するのは他の諸芸能の座と同様であるが,本所の庇護と座衆の強い結束によって彼らは諸国往来の自由を獲得し平曲上演の縄張を広げ,室町時代に平曲は最盛期を迎えた。…

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