富高手代所跡(読み)とみたかてだいしよあと

日本歴史地名大系 「富高手代所跡」の解説

富高手代所跡
とみたかてだいしよあと

[現在地名]日向市本町

富高新町にあった日田代官所の手代所。豊後街道の西沿い、正念しようねん寺の北側に位置した。元禄五年(一六九二)延岡藩主有馬清純が越後糸魚川いといがわ(現新潟県糸魚川市)移封。同年臼杵・宮崎・児湯こゆ諸県もろかたの四郡で合せて三万石に及ぶ幕府領が設けられた。これらの幕府領を管轄するために手代所が置かれた。当初細島ほそしま町にあったが、建物の崩壊により元文二年(一七三七)富高新町に再建された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android