射添郷(読み)いそうごう

日本歴史地名大系 「射添郷」の解説

射添郷
いそうごう

和名抄」所載の郷。同書高山寺本は「添」を「」に作るが、誤写であろう。高山寺本に「以曾布」、東急本に「伊曾布」の訓がある。奈良時代後期の平城宮跡出土木簡に「但馬国七美郡射添(郷カ)」とあるのが初出。長寛三年(一一六五)六月日の阿闍梨聖顕寄進状案(高山寺文書)に「湯泉郷竹田・寺木村」の東限は射添郷境とあり、西で二方ふたかた湯泉郷に接していた。永万二年(一一六六)三月八日の後白河院庁下文案(同文書)には、温泉郷の立券庄号のため前年の一〇月院使が下行して示を打ち定めたが、「温泉庄辰巳方示」を「為当国住人礒生丹三郎真近、以同十一月廿日抜棄已畢、即言上子細之処、件真近被禁固畢」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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