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但馬国 たじまのくに

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

但馬国
たじまのくに

現在の兵庫県北部の地方。山陰道の一国。上国。『旧事本紀』には但遅麻国造と二方国造が記されている。前者は但馬国の東部,後者は但馬国の西部にあったとみられる。『古事記』応神天皇の段には「多遅摩国」とみえ,新羅王のアメノヒボコの説話が記されている。国府は,国分寺とともに豊岡市に置かれた。『延喜式』には朝来 (あさご) ,養父 (やぶ) ,出石 (いずし) ,気多 (けた) ,城崎 (きのさき) ,美含 (みくみ) ,二方 (ふたかた) ,七美 (しつみ) の8郡があり,『和名抄』には 63郷,田 7555町が記されている。鎌倉時代には常陸房昌明が太田荘にいたが,承久の乱 (1221) 以後守護となり,その子孫といわれる太田氏が守護職を世襲した。室町時代には山名氏が守護として支配した。天正8 (1580) 年豊臣秀吉によって山名氏が滅び,宮部継潤が支配した。江戸時代には豊岡に初め杉原氏,のち京極氏が封じられ,出石には初め小出氏,のち仙石氏が封じられ幕末にいたった。また明治1 (1867) 年村岡藩 (山名氏) が置かれた。明治維新を経て明治4 (1871) 年7月藩はそれぞれ県となり,11月には合併して豊岡県となったが,1876年兵庫県に編入。

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デジタル大辞泉の解説

たじま‐の‐くに〔たぢま‐〕【但馬国】

但馬

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百科事典マイペディアの解説

但馬国【たじまのくに】

旧国名。但州,田道間とも。山陰道の一国。現在の兵庫県の日本海側。《延喜式》に上国,8郡。中世は安達・太田氏ら守護の後,山名氏の所領。近世は豊岡・出石(いずし)の2藩に京極・仙石氏らが入封。
→関連項目出石藩近畿地方雀岐荘兵庫[県]

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

たじまのくに【但馬国】

現在の兵庫県北部を占めた旧国名。律令(りつりょう)制下で山陰道に属す。「延喜式」(三代格式)での格は上国(じょうこく)で、京からは近国(きんごく)とされた。国府と国分寺はともに現在の豊岡(とよおか)市日高町におかれていた。鎌倉時代は太田氏、南北朝時代以降は山名氏が支配。1569年(永禄(えいろく)12)には織田信長(おだのぶなが)豊臣秀吉(とよとみひでよし)に命じて同国内の生野(いくの)銀山を支配させた。江戸時代、銀山は幕府直轄領、ほかに京極氏豊岡藩、仙石氏の出石(いずし)藩がおかれた。1871年(明治4)の廃藩置県で豊岡県となり、1876年(明治9)に兵庫県に編入された。◇但州(たんしゅう)ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

たじまのくに【但馬国】

旧国名。但州。現在の兵庫県北部にあたり,北は日本海,東は丹波国・丹後国,南は播磨国,西は因幡国にそれぞれ隣接する。
古代
 山陰道に属する上国(《延喜式》)。国名は,《古事記》には〈多遅麻〉〈多遅摩〉と表記される。《日本書紀》ではすべて但馬とするが,名称の由来は不明。伝承的記事を除けば,国名の初出は675年(天武4)の侏儒・伎人を貢上せしめたという記録である。ただし,但馬国の古代を語るとき,史実かどうかは別として,天日槍(矛)(あめのひぼこ)の説話を忘れることができない。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

但馬国
たじまのくに

山陰道の一国。但州(たんしゅう)。現在の兵庫県の北部、東は丹波(たんば)・丹後(たんご)、南は播磨(はりま)、西は因幡(いなば)に接し、北は日本海に臨む。中国山地の東部に位し、山岳重畳、日本海岸に迫り、断崖(だんがい)奇勝をなすが、良港に乏しく、風待ち港がわずかにある。播磨境から円山(まるやま)川、竹野川、佐津川、油良(ゆら)川、久斗(くと)川、岸田川、大栃川などが北流し、その河口に津居山(ついやま)、竹野、佐津、香住(かすみ)、浜坂などの漁港がある。降水量多く、ことに冬季は寒気厳しく、人口も過疎となっている。『古事記』には多遅麻(たじま)、『旧事本紀(くじほんぎ)』には但遅麻(たじま)または田道間(たじま)、『日本書紀』には但馬とある。『播磨国風土記(ふどき)』にみえる天日槍(あめのひぼこ)が新羅(しらぎ)から当地に来住した説話は、一面この地方の文化の先進性を示している。『延喜式(えんぎしき)』によると、朝来(あさこ)、出石(いずし)、城崎(きのさき)、気多(けた)、美含(みくみ)、二方(ふたかた)、七美(しつみ)、養父(やぶ)の8郡が存在していたが、これは明治中期まで続いた。1896年(明治29)の新郡区編成では城崎、気多、美含の3郡を城崎郡に、二方、七味の両郡を美方(みかた)郡に合併して5郡にした。なお現在、城崎郡のうちの一部が豊岡(とよおか)市になり、養父郡が養父市となり、4郡、2市となっている。豊岡市には国府の地名、国分寺塔心礎が残る。
 鎌倉時代初め、常陸房昌明(ひたちぼうしょうみょう)が出石郡太田荘(しょう)に来住して太田姓を名のり、1221年(承久3)の乱後、但馬守護職につき、以後世襲した。1333年(元弘3)千種忠顕(ちぐさただあき)の決起に加わったが、その後は国中争乱が続いた。1353年(正平8・文和2)山名時氏(やまなときうじ)が南朝に帰順してこの国を攻め、のち室町幕府につき、5子の時義がこの国を領し、出石に築城、以後山名氏の世襲となった。1580年(天正8)豊臣(とよとみ)秀吉の再征で山名祐豊(すけとよ)は降り、その支配は終わった。秀吉は弟羽柴秀長(はしばひでなが)を出石城に、宮部継潤(みやべけいじゅん)を豊岡城に置いた。その後、出石、豊岡はそれぞれ大名領となり、出石は小出(こいで)、松平(まつだいら)(藤井)、仙石(せんごく)の諸氏、豊岡は木下(きのした)、尾藤(びとう)、明石(あかし)、福原(ふくはら)、杉原(すぎはら)、京極(きょうごく)の諸氏が続いた。ほかに、村岡は山名氏の後裔(こうえい)が交替寄合(こうたいよりあい)として知行(ちぎょう)していたが、1868年(明治1)1万1000石に高直しされて大名に列した。産業面では、生野(いくの)に銀山が開発され、幕府直轄領として重要な役割を果たした。廃藩置県で、出石、豊岡、村岡の3藩は71年それぞれ3県となり、まもなく豊岡県に統合、76年兵庫県に編入。天領の生野も1869年生野県となり豊岡県を経て兵庫県に入った。[小林 茂]

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