小手萩村(読み)こてはぎむら

日本歴史地名大系 「小手萩村」の解説

小手萩村
こてはぎむら

[現在地名]峰浜村小手萩

いし川(竹生たこう川)に沿った台地上にあり、東に石川いしかわ村・内荒巻うちあらまき村、西に強坂ごうざか村、南に比八田ひはた村・外荒巻そとあらまき(現能代市)、北にはなわ村がある。

天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「百五十六石五斗七升七合 こてらはけ村こつか村 新屋敷村」とあり、文禄元年(一五九二)の秋田実季分限帳(秋田家文書)に「四百七石六斗六升八合 小手萩村」とある。享保一五年(一七三〇)の村名唱文字替覚(門間家文書)に「小手ラ萩村 小手萩村」とある。

「適産調」によれば、小手萩にはもとはぎノ城と称した城館があり、堀内久兵衛が神馬氏を名乗って君臨したという。また神祇台じんぎだいにも堀を巡らした屋敷跡があり、中世土豪が勢力をもっていたことをうかがわせる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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