日本歴史地名大系 「山本郡」の解説
山本郡
やまもとぐん
秋田県の西北部に位置し、郡の中央を東西に米代川が流れる。東は北秋田郡、南は南秋田郡、北は
郡の東部は北秋田郡境に沿うように、北から
山本郡は「羽陰史略」に「山本郡を仙北郡に仕、檜山郡を山本郡に仕、戸島郡を河辺郡に可仕候哉」とあるように、寛文四年(一六六四)まで
〔原始・古代〕
郡内の縄文遺跡は海岸からやや後退した台地上や、米代川両岸の段丘上に数多く分布する。時期は縄文前期から晩期までで、八竜町の
平安前期と推定される遺跡には峰浜村の
山本郡の地域が文献史料に現れるのは、斉明天皇四年に阿倍比羅夫が
次いで文献に現れる山本郡域は、元慶二年(八七八)の蝦夷反乱(元慶の乱)の時である(「三代実録」同年七月一〇日条)。
山本郡
やまもとぐん
- 福岡県:筑後国
- 山本郡
筑後国の北部西寄りに位置し、北から西は
〔古代〕
郡名の初見は「延喜式」民部上まで下る。「和名抄」諸本に文字の異同はなく、東急本・元和古活字本は「也万毛止」の訓を付す。現久留米市
〔中世〕
山本郡一帯を本拠地とした草野氏は、肥前国の在庁官人高木氏の一族で、草野吉木(現久留米市)へ入部したという。平氏討伐にあたり勲功をあげた草野永平は、文治二年(一一八六)源頼朝の推挙により本職である筑後国在国司職・押領使職を安堵された。
山本郡
やまもとぐん
- 熊本県:肥後国
- 山本郡
肥後国北部に位置し、東は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報