十二ヵ村野(読み)じゆうにかそんの

日本歴史地名大系 「十二ヵ村野」の解説

十二ヵ村野
じゆうにかそんの

能代市の北部にある東雲しののめ台地は広漠たる原野で、藩政期には採草地として周辺村々が利用していた。とくに台地北部の杉沢野すぎさわの・十二ヵ村野は村々の草飼入会地として田の肥草・馬の飼料を供用していた。杉沢野・十二ヵ村野は「大野(沼田部落文書・塙部落文書)、「杉沢大野」(朴瀬村文書)、「十二ケ村刈野」(「十二ケ村入会地検使願書」見上家文書)などとよばれたが、その範囲を確定することは難しい。

正徳五年(一七一五)に「杉沢大野九ケ村入会之場所、西ハ杉沢頭能代道きり、南ハ中台之長根崎きり、東ハ上沼道きり、北ハ上沼きり、此内ハ相互入会ニ御座候間、何方村ニ茂手入候覚無之候、若此末手入候村有是候ハハ、おさひ可申候、為其入合之村々判形ニ書付相互所持申候」(「杉沢大野入会手形」見上家文書)として、朴瀬ほのきせ外荒巻そとあらまき比八田ひはた小土こづち栗山くりやま竹生たこう(現能代市)稲子沢いなこざわ内荒巻うちあらまき小手萩こてはぎ(現山本郡峰浜村)の九ヵ村の肝煎・長百姓が連名した手形が出され、九ヵ村入会が成立した。

また同年の六ケ村入会為取替手形(見上家文書)に「弐拾三年以前檜山御役所ニ此方三ケ村持分大野之内鳥形村、郷坂村草苅入申筈、又廿壱ケ年以前八柳杢兵衛様八代角助様御見分御意ニ、右三ケ村持分野合ニ沼田村も入、鳥形郷坂拙者共三ケ村共ニ六ケ村入合草為苅申筈ニ相定申場所ハ、杉沢頭ニ石川村より能代海道より内ニ御座候、右石川村海道より外ハ何連六ケ村と拙者共と九ケ村入合之大野へ何方よりも脇村手入致候覚無之候間、此末迚も脇村手入候ハハ、相互押可申候、為其一筆如此ニ候以上」とあり、竹生・栗山・小土の三村から、比八田・小手萩・外荒巻・内荒巻・稲子沢・朴瀬の六村あてに手形が出されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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